まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「冒険の書 AI時代のアンラーニング」孫泰蔵

どんな本

80の問いから生まれる、「そうか!なるほど」の連続」。いつの間にか迷いが晴れ、新しい自分と世界が始まる。君が気づけば、世界は変わる。

 

感想

思わずうなってしまう問いと考察の数々。いわゆるリベラルアーツに関する深い歴史と深い研究書。教育のアップデートに関しても目から鱗の内容。人は何のために学ぶのか?という投げかけで終わる本書。私の答えは「自分にとってこの世界がどれ程生きるに値するのかを発見し証明するため」と考えた。あまりに内容が良すぎて膨大なメモ量になってしまい悪しからず。

 

表紙

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要約・メモ

(第1章・解き放とう)

  • 「あたりまえの教育システム」に疑問。「つまみ食い」がダメな理由は、教育を提供する側である学校の運営の効率が悪くて大変だから。疑問を感じる人はほとんどいない。「教育や学びというのは、こういうもんだ」と思考停止しているから。
  • (会田大也)世界図絵(1658)・ヨハンアモスコメニウス、近代教育学の父。教育なくして人間は人間になることはできない。
  • 社会を変えるには教育を変えるしかない。すべての人に世界のあらゆることを教え、立派な人間に育てる。
  • しかし、時代は変わり彼の考え方がこれからもフィットし続けるものなのか。現在の教育のルーツであるコメニウス先生の思想にまで遡って考え直すべき。
  • 300年続く呪文:人工知能を使いこなすためには?リーダーシップ。世界のどこに行っても通用する能力。自分の構想や世界を「見える化」すること。
  • それらの考えのルーツは、イギリスの哲学者・トマスホップズ。世界に平和をもたらすものは何か?リヴァイアサンと呼ぶ国家。一人ひとりの持つ力を集めて権力をつくり万人の万人に対する戦いを抑えるのだ。
  • 私たちが心の中から追い出さなければならないものは「生存競争を勝ち抜かなければならない」という強迫観念。
  • 私たちは世の中の流れに従うことで自分自身がディストピアをつくる一員になる。みんなが少しずつ思考停止をはじめれば世界は変わる。
  • パノプティコンの憂鬱:学びとは本来、学びたいから学ぶもの学校は学びを教わるという受け身のものに変え、子どもたちを教育サービスの消費者に仕立て上げた。悪い意味での平等主義、学ぶ自由奪っている。
  • パノプティコンとは、ドーム屋根の大きな円形の建物。囚人たちに「自分は常に監視されている」と服従させるしくみ。機械化された人間を作り出せるしくみ。
  • 学校も同じで、監視・賞罰・試験という3つのメカニズムの複合体
  • 再発明されるべき発明:新しいものについては誰もが初心者。子どもも大人も関係なく興味がある人は一緒に机を並べて楽しく学べば良い。
  • ジョセフランカスター、先に教えを受けた者が生徒に教える。学力別のグループ「クラス」に分けられる。モニターはおよそ10人の生徒を担任し、学習内容をテスト。合格した生徒は上のクラスに進むことができる。私の発明した新しい教育システム「モニトリアル・システム」。
  • ニトリアル・システムは、当時最先端だった工場の分業システムを教育に応用、効率の良さから一気にヨーロッパ全体へ広がる。
  • その後、イギリスの教育者サミュエル・ウィルダースピンがギャラリー方式と呼ばれる新たな教育法を開発。階段状の部屋に数十人の生徒が座り、正面にいる教師からいっせいに授業を受ける方式。
  • 1862年、2つのしくみがイギリス政府によって合体。同じ年齢の子どもたちでクラスを作る学年制が誕生。
  • 偉大な発明家でありイノベーターである彼らの精神にのっとり、我々は200年ぶりに教育システムを作り替え、クラスや学年というものを再発明する必要ある
  • 縛りを解き放て!:人間の一生を「少年期・青年期・中年期」など段階に分けて考える発達段階というコンセプトで社会の制度が設計。法律による様々な仕切り。
  • アメリカの心理学者エリクHエリクソン博士、1950年代に心理社会的発達理論を提唱。自分らしさや個性などを意味する「アイデンティティ」という概念を世界で初めて作り上げた。
  • 幼年期と社会(1950)で人間の一生を8つの段階に分け段階ごとの特徴を示した発達段階モデルを発表。ライフステージという考え方
  • 学校そのものが悪いのではなく、変えなければならないのは、私たち一人ひとりが学校に対して求めているものや私たちの意識。
  • スローな学びにしてくれ:幼い頃から始めなくてもオリンピック選手になれる、アテネオリンピック選手の本格的に始めた年齢グラフより。
  • アメリカの言語学者・エリックレネバーグ博士「臨界期仮説」、人間は2〜12歳(臨界期)までを過ぎると、言語を母国語のように習得することは難しい。
  • 仮に早く学ぶほうが学習上、良い効果があるとしても、それの何が良いのか、という疑問。学びの楽しさや喜びを追求するなら、早い教育よりむしろ遅い教育。
  • 基礎という神話:「まずは基礎から始めるべきだ」何をもって基礎とするのか。基礎は還元主義の象徴
  • 還元主義=どんなに複雑なもんもでも、それを要素に分解し、一つ一つを理解すればなんでも理解できる、という考え方。
  • なにかにたどりつく道は無限にある。どれが基礎でどれが応用だという境目はない。基礎という常識の無意味さ。
  • 失敗する権利:禅僧・ダイコウマツヤマ、正解を教えてもらったら盲目的にそれしかやらない。試行錯誤をしない。絶対に失敗させて逆にいうと試行錯誤したらどれだけセンスないやつでも成功できる。全員失敗させて全員成功させる。だから禅は1000年続いている。
  • 「人には失敗する権利がある」という想いを胸に、いたずらにルールをつくることをやめ、失敗から学べる環境をデザインすることが重要

 

(第2章・秘密を解き明かそう)

  • ザ・グレート・エスケープ:増え続けるいじめや不登校。根本的原因は、学校という場所が同級生と生活や人生の深いものをなにも共有しないにもかかわらず長い時間その場をともにすることだけは求められる場所であることにある。
  • 日本の発達心理学者・スミオハマダ。子どもを取り巻く社会状況大きく変わった、子どもが大人を助ける機会の減少、ほぼ皆無。子どもが変わったのではなく、とりまく社会状況が、子どもの生きづらさと関係している
  • 脱学校の社会(1970)、学びは本来自由な活動。学校はそれを教わるという受け身の活動に変えてしまう。きちんとした教育制度と専門家が必要だという思い込ませ。
  • 不登校という言葉がなくならない限り、根本的な解決はない。子どもたちを苦しめないためには「とにかく学校に行かせたい」と思考停止している親、それを許している大人が行動を起こし、「不登校」という言葉そのものをなくしていかなければならない。
  • 3つに分けられた悲劇:日本の認知科学者・ユタカサエキ、わかり方の探究(2004)で学びがつまらなくなった背景には、三重の遊んではいられない構造があると指摘。①社会における「遊び」と「働き」の区別。②学校における「遊び」と「学び」の区別。③「自らすすんでする遊び」と「受け身の遊び」の区別。
  • 遊びは、新しい学びや創造、発見などをするための本質的な活動であったにもかかわらず、ただのエンターテイメント消費になってしまった。
  • 暴かれた秘密:フランスの歴史学者・フィリップアリエス、子供の誕生(1960)、子供の発明とは大人と子どもの間に線が引かれたことを意味する。同じような分割線は仕事と遊びの間や、公と私の間にも引かれた。この区別こそが人間の生活を貧しくした。
  • 哲学者ジョンロック、教育に関する考察(1693)そもそも教育は学習とはちがうのです。身につけさせるべきは習慣。学校は学ぶことの意味がわからない知識を詰め込むばかり。自ら学習する習慣が身につけば知識はあとからいくらでもつく。
  • タブラ・ラサラテン語で磨いた板の意味。人間は生まれた時はまっさらな板。そのコンセプトこそが、子どもを特別あつかいするきっかけに。
  • 子どもは子ども?:ジャン=ジャック・ルソー、社会契約論(1762)、民主主義はどうあるべきか。あらゆる人に共通して行なわれるべき教育とはなにか?富や名声、権力などの評価に左右されず、みんなでつくり上げていく社会の一員にふさわしいマインドを持った人間を育てる教育。それこそが本当の教育である。
  • 社会が発達し文明が発展していくうちに不平等が生まれ、強者と弱者の対立、まわりの目を気にしながら生きる社会の奴隷に。今の教育はいつも他人のことを考えているように見せかけながら実は自分のことしか考えないような人間をつくっている。まちがいなく歪んだ人間に。ある年齢までは社会から引き離して保護する必要ある。「子どもは大人ではない、子どもは子どもなんだよ。」
  • 子ども時代は自然の成長をゆっくりと待たなくてはならない。良い習慣づくりなんかじゃない、自然に触れて感じる「実感」を身につけること。
  • 植物は栽培によって、人間は教育によってつくられる。「自然人」というコンセプト、子どもの自然な発達を保護し、自律的な成長をさまたげるものを取り除くことが本当の教育。
  • イギリスの教育評論家・ケンロビンソン「庭師は植物を育てない。庭師の仕事は、花が開く条件を整えることだけだ」
  • 子どもを書物でいじめるな:イギリスの実業家・ロバートオーウェン、オウエン自叙伝(1857)、貧困や犯罪は社会の構造の問題。罰を与えても本当の解決にはならない。社会そのものを改良することが大事。だから僕らの工場の従業員の生活全体をサポートする環境をつくった。今の生活共同組合。
  • 社会を良くするためにいちばん大事な取り組みはなんだと思う?教育を変えること。1歳から6歳までの幼児をあずかる幼児学校を設立。世界最初の子どものための学校。いちばん良い取り組みは教育、特に幼児教育である。
  • 教師たちに守らせたこと、子どもたちを書物でいじめるな。身の回りのモノの使い方や性質を教えること。本をなるべく使わないで、実感を身につけさせる。世界初の運動場や屋外学習プログラムなどを発明。
  • 守られる存在にサヨナラを:教育を変えたければ、まず子どもの見方を変えること。子どもを子どもあつかいしないのはもちろん、人間にあるのは一人ひとりの個性だけで、ただそれを愛でるだけでいい。同じ分野に興味や好奇心を持つ人たちが、好き好きに集まって一緒に学び合う多様な場があればいい。今必要なのはそういう学びの場。すなわち、私たち一人ひとりがみんなちがうということを愛でることができた時にこそ、学びはおもしろさを取り戻すことができる。

 

(第3章・考えを口に出そう)

  • 能力という名の信仰:統計学者フランシスゴルトン博士、遺伝と天才(1869)、人間の持つ才能は遺伝する。チャールズダーウィンが発表した「種の起源」の通り自然界の絶対的な法則。
  • 社会進化論優生学の実証研究は、帝国主義の時代の植民地政策を正しいもののように見せたり、ナチスユダヤ人を迫害する時の根拠となる理論としても使われた。
  • 「能力」とは、知能を測る知能テストが一般に広まったことによって生まれた統計的な概念。統計上の数字でしかない能力を、まるで存在するかのように考えるようになった信仰の一種。
  • フランスの心理学者・アルフレッドビネー博士とネオドアシモン博士が1905年に開発した知能指数(IQ)を測るテスト。175万人の米軍兵士の配属決め、大学入試試験用のSATに応用。
  • 思考停止は手段の目的化を生み出す。大学に行く理由は本来、自分が探究したい学問の研究。いい大学に入ることそのものが勉強の目的になってしまう。これを自己目的化という。
  • 社会心理学者トシアキコザカイ、責任という虚構(2008)や講演の中で、格差の原因は偶然にもかかわらず、平等な教育という名のもと順位づけを行い、それは自分の努力の結果であることを押し付ける。学校は「すべて自己責任」だとする格差社会をつくり出すのに一役買っている
  • ヨーロッパのことわざ「地獄への道は善意で敷きつめられている」。学校、社会はまさにこの言葉通り。
  • 循環論法のトリック:良い結果が出たのは能力が高かったから、であり、努力して能力を高めたからこそ良い結果が導き出された、と考えるようになり、完全に思考停止に。現代人は能力教の信者。
  • イヴァンイリイチ、コンヴィヴィアリティのための道具(1973)、人間は工場の生産システムや管理システムの一部に組み込まれて働くうちに、自分たちを機械のようなものだと考えるように。機械化した人間も成果で評価されるように。能力や運やお金はすべてフィクションであるのに。
  • 才能は百害あって一利なし:後知恵バイアスとは、なにかの結果を知ってから、後付けでまるで事前に予測できたかのように感じる心理。たまたま結果が悪かった時、それを決断した人を無能だと決めつけ。成果バイアスと呼ぶ。結果論で物事や人を評価する社会は、自分達の首をしめることに。
  • 大事なことは今のこの考えや感情にはバイアスがかかっているな、と自覚すること。メタ認知アメリカで子どもたちに「Good try!」良い結果は出なかったがトライしたこと自体に意味があるとたたえる。
  • 才能が能力よりもタチが悪いのは決定論的な考え。決定論とは自由にものを考え行動したと思うものでさえ、すべては自然法則や運命など別のものによって決められている、という考え方。才能がない者がいくら努力しても意味がないと、あきらめを引き起こす。
  • 才能があるかないかを語るのは、迷信を信じるか信じないかを語るにすぎない。
  • 評価は人間の活動の多様性をそぐだけでなく、人間の成長の可能性をせばめる。評価が人間の学びを貧しいものにし、それが才能というめいしんを生み出し人々から自信を失わせてきた。
  • テストの語源は錬金術師が鉱石の成分を調べるために使っていた土の壺をあらわすラテン語のtestum。それが製品の品質を管理するためのテストの意味に。
  • アメリカの作家・デールカーネギー、人を動かす(1936)、「誠実に心をこめて相手の良さを認める」。アプリシエーション、相手の良いところを理解してほめる。何かにふれて湧きあがった感情とその感情が生まれるプロセスすべてを指し示し、ただそれが「ある」ということがいかに「ありがたい」ことかという点に意識を向けた態度。
  • 良い「つくり手」は良い「つかい手」であり、良い「わかり手」であることが多い。多様な存在である人間がお互いに尊敬し合い、高めあい、愛情によって支え合うことで、私たちの創造は素晴らしくなる。新しい学びの場はアプリシエーションにあふれた場であるべき。
  • I+E=M:学力で子どもたちを測定して勉強させる学校がいじめや不登校を生み出している。教育システムの見直しはいまだに進まない。
  • イギリスの社会学者・マイケルヤング、メリトクラシー(1958)社会における人間の地位は、生まれなどによって決まるのではなく、その人の持つ能力によって決まるべき、という考え方。
  • イギリスの労働社会学者・ジョンゴールドソープ博士、メリトクラシーの諸問題(1997)3つの要素。①人は才能や努力に応じて誰でも出世できる(機会の平等)、②人それぞれの能力にあった教育の環境や機械を平等に提供(能力別学習)、③業績を重視。他の格差は認められないが、業績の差だけは格差として認められる(実績重視)。
  • ヤングの小説では、人々の実力はメリットMと呼ばれ。知能インテリジェンスIに努力Eを加えたものが本人の実力Mであると定義。I+E=Mという公式。この社会をディストピア的近未来として描いたが現実もエドテックが進み、あながちフィクションでは片付けられない。
  • 学校にもメリトクラシーが全面採用。貴族が社会を支配するアリストクラシーや、大富豪がお金で社会を支配するプルトクラシーに比べるとマシな気がするが、やめたほうがいい。がんばればみんなできる、できるようになればみんな幸せ、という平等主義は絵に描いた餅。実際には社会が実現しないし、むしろ公平性が悪化。メリトクラシーは不幸になる社会。
  • 学力なんか身につけてどうするの?:機械の人工知能化、メリトクラシーの最終兵器。それを恐れるのではなくメリトクラシーの解放者と捉えるべき。学校での学びにも変革をもたらす。
  • 異なる点と点を結ぶ:能力を身につけて人の役に立つようになろう、という考えでがんばる人、自分が役に立たないと分かった時、自分を責め無気力に。ペシミズムという。最も不幸な世界に。
  • メリトクラシーはペシミズムをわずらう毒を善意というオブラートに包んで人々にたくみに飲ませ続けてきた。逃げ場のない袋小路に。
  • 「Thinking outside the box.」これまでとは違う新しい視点で型にはまらない考え方をするという意味。素敵な偶然や予想外の発見「セレンディピティ」が起こりやすくなる。メリトクラシーにかわる社会の創造へ。
  • メリトクラシーの大きな問題、できない人たちがドロップアウトし、社会が分断されていく。脱落する人は努力が足りないから仕方ない、自己責任を強いる性質

 

(第4章・探究しよう)

  • 車輪の無意味:フランスの芸術家・マルセルデュシャン「自転車の車輪」発表。これは何の役にも立たないシロモノ。存在の意味は皆無。我々の身の回りにあるモノは機能が存在する。
  • 無意味という否定の後のだからこそ意味があるという大いなる肯定。
  • 無用之用:中国の思想家・荘子の人間世篇(紀元前300)、この世の中に役に立たないというものはない。最近の人間は効率や合理性ばかり追い求め、ムダを目の敵に。ムダや余白は積極的に残した方が良い。
  • 私は今日、あなたになにも授けていない。いくつか問うただけ。私は空っぽ。これもまた無用之用。
  • 人の言う事をうのみにせず、常に自分の頭で考える習慣をつけなさい、クリティカルシンキング
  • 悪人正機のカミソリ:生きる苦しみと向き合いながら一生を送った仏教僧・親鸞悪人正機と他力本願というコンセプトをつくり上げた。
  • 他力本願、すべての人間を苦悩から救おうとする阿弥陀の存在を信じ、それを心の拠りどころにして生きようということ。素晴らしい人間の中にもうぬぼれや独りよがりがひそんでいること。
  • 悪人正機(あくにんしょうき)、自力に頼る善人でさえもポテンシャルがあるのだから悪人はさらに成長のポテンシャルがある。
  • 教育は人間のあらゆる活動の中で最も心が広いものであるべきです。教育という言葉は「教え、育む」という意味ですが、僕はこれを「学び合い、育み合う」という学育という言葉に言い換えたいと思っています。学び合い、育み合うという姿勢には、どこにも心のせまいところがありません。なんであれ、いつであれ、学びにならないことなどなにもない。ただ学びたいという好奇心と成長したいという気持ちを持つ人であれば、誰がきたってかまわない。そんな新しい学びの場を、僕はつくってみたいと今思っています。人間は学んで成長していくから人間なのだ。そして、この世に役に立たないものなんかない。ものの見方を変えれば、つまり、自分が変われば、世界はいつだって変えられる。そして実際にそれをやってきた偉大な先人たちがいる。僕たちは一人じゃない。
  • 答えるな、むしろ問え:論理的に解決できるようなシンプルな問題はすでにかなり解決済み。どんなに学問や技術が進歩しても、問題が解決するどころかむしろ増えている。
  • 偉大な発明や発見はひょんなことから生まれる。イノベーションを起こすぞ!などとは思っていない。
  • 「どのような態度で世界と向き合うか?」という姿勢の問題。学びの根底に流れる自由な精神こそ、人間を自由にする技、すなわちリベラルアーツ
  • つくるとわかる:エストニア生物学者・ヤーコプフォンユクスキュル博士、動物の環境と内的世界(1909)、生物それぞれの感覚を通してとらえている世界のことを、環世界と名付けた。それぞれの生物が環世界を持っている。
  • 世界がどう見えるかというインプットだけでなく、世界にどう働きかけるかというアウトプットがセットになって初めて環世界が生まれる。
  • 人々が分断された世界でお互いに通じ合うには、「つくる」と「わかる」という機能環を回すことで学びを深め、ともにつくることを通じてつながっていくしかない。
  • 専門家と素人:評価や査定は人と違うことをするなという同調圧力を強める。それが強いと生きづらい社会に。
  • 専門家が存在する意義は、その分野の発展に貢献するだけでなく、素人である一般人とは違ったものの見方、意見を出してくれること
  • イノベーションに専門家や素人の区別は必要ない。同調圧力強まると世の中の多様性もなくなる。思考停止を感染させる。
  • 人間がたくさん持っているバイアス。メタ認知を持つこと、自分の考えを客観視することが大事。

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(第5章・学びほぐそう)

  • 素朴な疑問に目を向ける。そこから新たな問いが生まれる。その問いを深く考えるために手を動かし、その過程で気づいた思い込みや常識を疑う。そして新たに生まれた問いについて考える。この繰り返しこそが、自分の人生を自分で考えることにつながる。
  • なにがしたいかわからない?:決してなにもしたいことがないわけではない。自分の存在価値がどこにあるかわからない。人に認められるほどの価値を生み出せる能力がないと思い込み。
  • ここには資本主義の性質が関係。資本主義こそが機会の均等。誰でも努力すればお金手に入る。お金で買えない物があるのは不公平。結果、労働者としての自分の存在価値を高めなければならないという考え方に。
  • やりたいことの定義を「お金になるようなことの中で自分がしたいこと」と限定してとらえている。資本主義社会で初めてやりたいこととして認められる。それではやりたいこと見つからないのは当然。
  • 「自由」を神輿に担いで、世界中のありとあらゆるものを「商品化」してまわるスーパーパワー、それが資本主義。
  • 等価交換をよしとする社会では人は誰にも頼らない。面倒くさいことがない社会でもある。しがらみのない自由な世界ともてはやしてきた。世界中の誰とでも取引できる究極に自由な社会「グローバル資本主義」の誕生。
  • 一人で生きていけることこそが真の意味での「自立」と信じ、自立こそが本当に自由な人間に必要なもの、ふと誰かに頼れない不安がきても「自由の代償」と自分をごまかし、我にかえって他人に自立を求める。それが今の「大人」たちの姿。
  • 誰も必要としないけれど、誰からも必要とされない社会、無縁社会。そこにはなんの「必要性」も「使命」もない。だから人々は自分が何をしたいのか、何のために生きるのか分からなくなる。
  • ギブ・アンド・ギブン:熊谷晋一郎、自立するとは。頼れる人を増やすことである。依存先を増やしていくことこそ自立。全ての人に通じる普遍的なこと。
  • 環境こそが人間に大きな影響を与える。自立の呪いから解放するには、自分の好きなことを追究できる環境に身を置き、まず自分を満たすのが一番
  • もし、明日死ぬとして:一言だけ我が子に遺言を残すとしたら。「世界は自ら変えられる」親が子に望むのは「幸せに生きてほしい」ということ。幸せとは何か?という問い。自分の人生を自分の意志で生きて欲しい、希望を持って未来を自ら切り開いていける子になってほしい。
  • 世界を変える魔法:ブラジルの社会活動家・パウロフレイン、沈黙の文化。支配者によって植え付けられた自分自身に対するネガティブなイメージ。まず、絵と話で彼らの学びたい気持ちを高め、生活や仕事に関係する言い回しを学んでもらう。そこから国外への仕送りなど、関心が高い大事な言葉について議論。効果を発揮し、軍事政府から政治的に危険人物とみなされ国外追放されるほどに。
  • 被抑圧者の教育学(1968)で、従来の知識詰め込み型の教育方法や学習者の生活現実に関係ない教育内容をきびしく批判。
  • 読み書きのできない貧困層に、彼らがリアルに感じることの議論から出発して、読み書きを教え彼らが選挙に参加できるようにして世界を変えた。理論と実践の両面から取り組み大成功を収めた。最後まで対話の力を信じていた。対話を通じて自分が変わることで、相手が変わり、社会が変わる。それこそが、世界を変える魔法だということを教えてもらった。
  • 螺旋に連なる小さな弧:①人間として善く生きるとは、どういうことだろう、②公共の利益とは、いったいなんだろう、という2つの根本的な問い。私たちは人間中心主義を超えて、新しい善や新しい公共の利益について真剣に考えなければならない。
  • バングラディシュの経済学者・ムハマドユヌス、今までの経済学は人間を単なる利己的な存在とみなし、利益を最大化せよとかりたてた。人間がお金をつくり出す機械に変えられた。経済理論が全世界の思考を決定。しかし、人間は無限の可能性を持つパワフルな世代。テクノロジーを魔法使いのように自分の創造的な力を世界の様々な問題解決に使える。やるべきことは常に問題解決に向かうこと。
  • 教育の目的のアップデート、①「善く生きる」人類が自然の生態系を破壊してきたことを反省し、多様な自然を愛で、守る存在として生きること。②「公共の利益」あらゆる種がすこやかに生きていける地球をつくり上げるために世界を変えていくこと。
  • イギリスの詩人・ロバートブラウニング「地上では欠けた弧 天上では全き円」。日本の医学者・日野原重明大きなビジョンを描きなさい。たとえ自分が生きている間に実現できなくとも、円の一部にしかなれなくても、後に続く者たちがいつかその円を完成してくれる
  • ライフロング・アンラーニングもう一つは過去からの視点。新技術によって先人たちの取り組みに良い影響を与えること。新しい価値づくりも励んだすべての人々を誰も悪者にせず、すべての技術の多様性を愛でること
  • 常識を捨て去り、根本から問い直し、その上で新たな学びにとりくむ「アンラーニング」が重要な学びの態度に。ラーニングとアンラーニングを繰り返しながら進める、その姿勢こそが「探究する」という言葉の本当の意味。
  • 学びの場はどのようにあるべきか。世界を良くするために集まった探究者のコミュニティであるべき。
  • 人は歳を重ね経験をつめばつむほど、アンラーニングすることが難しくなる。
  • 後世への最大遺物:教育の目的「子どもたちが自由に生きる力を身につけるため」「民主的な市民社会の一員として育てるため」の2つ。しかし、「生きる力」とは結局「資本主義のうえでうまく立ちふるまうことのできる能力」でしかなくしかもその能力はフィクション。さらにその能力はメリトクラシーの最終兵器・人工知能にとってかわられる。このままではどんづまり。教育の目的をアンラーンする必要。生きる力などと声高に言う必要がなくなったとポジティブにとらえ、教育に「意味のイノベーション」を。
  • 生きる力なんかみんな身につけなくたって、ちゃんとみんな生きてるじゃん、というあたりまえの事実社会に適応できるようにするのが教育ではなく、子どもたちがそんな社会を変えることができるようにすることこそが教育の使命。それはすべての人々にとっても必要。生涯にわたってラーニングと同時にアンラーニングを
  • これからの学校の在り方、年齢を問わず、みんなで探究するコミュニティをつくり上げること。「自分が変わり続けるために行く場」という新しい意味へ。自分が社会を変えるための場へ。
  • 日本の教育者・内村鑑三、後世への最大遺物(1894)、お金を貯めるのは難しく、事業を遺すのも並大抵ではない。ならば思想を遺すのがよい。「なにもできない自分こそが、実は勇ましく高尚なる生涯を遺す機会に与かれる」。
  • この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。内村鑑三
  • 世界は変えられる。自分が変わりさえすれば、いつだって変えられる。現在や過去、未来の仲間と一緒なら、なんだってできる。私たちは地球上では欠けた弧。蒼穹の大きな螺旋に連なる一辺の小さな弧。たとえ一部にしかなれずとも、後に続く者がいつかそれを完成してくれる
  • あらためて、人はなんのために学ぶのか。人が学ぶ理由、それは、、、

 

★米国の作家・ダニエルクイン、「古いビジョン」と「新しい計画」では世界は救われない。世界を救うのは「新しいビジョン」と「計画の不在」である。やりたくもない勉強なんかしなくても、しかめっ面して仕事しなくても、未来のことばかり考えて不安にならなくても、ただ楽しい遊びをとことん追求すればいい。

★一緒に新しいものをつくり出す楽しさと喜びに没頭し、時間にしばられることも、不安を感じることもなく、つくり手とつかい手とがアプリシエーションにもとづく幸福な信頼関係で結ばれている世界。「世界をうまく回すための最良の方法は、世界を贈与で埋め尽くすことなんだ」ってことを誰もが信じ、多様なコミュニティに属しながら一人ひとりが好きなように生きていいける世界。

★「真の発見の旅とは、新しい景色を探すことではない。新しい目で見ることなのだ。」マルセルプルースト、失われた時を求めて(1913)。