まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「ジェンダー入門」加藤秀一

どんな本

ジェンダーについての入門書。ジェンダー論の豊かな知的フィールドに踏み出すための最初の手がかりを提供したい、そんな思いが込められた一冊。

 

感想

本テーマに関しては初読であったが、これぞ社会学の大本命では。「私たちが慣れ親しんだ性の意味の外側(メタレベル)に立つためのはしごのような道具が必要で、その道具がジェンダーという言葉」とは言い得て妙。海のように広くて深い問いの数々がここには広がっている。

 

表紙

f:id:recosaku:20220827191106j:image

 

目次

  1. ジェンダーって何のこと?
  2. ジェンダーは何を訴えてきたか
  3. 男女って何だろう?
  4. 男とは〜女とは〜なんて雑すぎる
  5. 女なら女らしくしなさいは論理ではない
  6. セクシュアリティーはジェンダーではない
  7. ジェンダーの平等に対するバックラッシュ

 

要約・メモ

(第1章)

  • ジェンダーの4つの用法:①性別そのもの、②自分の性別が何かという意識、③社会的に作られた男女差、④社会的に作られた男女別の役割。どの用法にも「社会的」という含意がある
  • 性同一性障害:生物学的な性別(=セックス)と主観的な性別(=ジェンダーアイデンティティ)にずれがある状態。

(第2章)

  • ジェンダーgenderの由来、性別を表す名詞の区別、それを転用し人間の性別に関わる現象へ。
  • (ジグムントフロイト)人間はただ放っておけば自動的に男や女になるわけではなく、人間だけが持つ文化・社会と言う不可思議な環境の力が作用してくる。
  • シモーヌボーヴォワール)「人は女に生まれない。女になるのだ」人間のあり方を決めているのは「文明の全体」。女とは男から見た客体、すなわち「他者」。女が劣った価値づけをされ、周辺的な地位に置かれている状態を鋭く表現。
  • 男性は女性として、女性は男性として明日から生活してみて。そうすれば他人事としてではなく自分のリアリティとして、望まない性別を強いられる辛さを感じられるはず。

(第3章)

  • 性別そのものの根拠は2つの構えにおいて探求:①生物として私たちが同種の異性を認知するという事実がどのようなメカニズムかを問う構え。②私たちがどのような言葉で二次元的性別を理由づけ、正当化しているかを問う構え。
  • 私たちは「人間には男と女しかいない」という信念を、論理的には根拠づけることができないまま保持している
  • 非典型的な人々をこの社会から排除し抑圧、二次元的性別を揺るぎない現実として絶えず作り直し維持し続けている。
  • しかし、それによって抑圧され傷付けられる人々がいることを知った上で、ジェンダーの多様性を尊重しながら、少しでも暴力の少ない望ましい社会運営を模索していくことが不可能という理由には決してならない。人間はその程度には自由である。

(第4章)

  • 男女を比較した時に見つかるさまざまな差。性差とは男性と女性それぞれの集団間の違い。
  • 集団同士を比較するには平均値など統計学的な概念用いる。性差とは本質的に統計学的な概念だということ。
  • 「差別とは不当な区別である」と定義。問題は①何と何の区別か、②正当と不当の境目をどう決めるか。
  • 社会学者・坂本佳鶴恵氏)「差別だとして告発された以上、それは差別なのだ。」数々の現象を調べてもすべてに共通の性質は見つからなかった。
  • ある時代・地域においては正当なものとみなされる区別が、別の時代・地域では不当な差別とみなされる可能性。その分割線には多様性があり、また変化する
  • 何が差別かと言う基準を絶えず見直し、作り直す事で社会的不平等を少しでも減らす努力をするべき。

(第5章)

  • (二クラスルーマン)認知的予期と規範的予期:人間には、自分の予期を現実に合わせていこうとするよりも、現実の方が自分の予期の通りに進行する「べき」だと思う強い傾向。
  • 認知的予期、出なければならないところに規範的予期を持ち込むことが差別。
  • 規範的予期は違背から学ばない、すなわち自分の予期が現実と食い違ったときに、現実に合わせて自らを修正することがない。これが一定数以上の人々に共有された社会現象として安定化されたもの、それがルーマンによる規範の定義。
  • このことから「規範」の本質とは、現実に逆らうこと、現実を認めないことである。
  • 規範である以上、それに違背した人は責められる、このような責めを社会学用語で負のサンクションと言う。
  • 性差と性役割の関係、論理的には無関係。誰々が女である、あるいは男であると言う事実から、だから女らしくすべき、男らしくすべきと言う価値(役割規範)を直接に引き出す事はできない。

(第6章)

  • 「性」と言う言葉の多義性は、私たちが世界を見るまなざしのあり方を反映。それを分析対象とするために、私たちが慣れ親しんだまなざしの外側(メタレベル)に立つためのはしごのような道具が必要であり、それがまさにジェンダーと言う言葉の役目なのです。
  • 性自認性的指向との区別は重要な意義を持つ。性と言う言葉に遭遇した時は、常にそれがジェンダーの意味なのか、セクシュアリティーの意味なのかを考えてみる習慣をつけておくと、いろいろなことが見えてくる。

(第7章)

  • バックラッシュ:リベラルな価値が一定程度進んだ時点で、それに対抗して国家や家庭といった伝統的な価値の歩間を目指す勢力が台頭してくること。
  • バックラッシュの代表的な攻撃対象、①性教育、②ジェンダーフリー
  • 過激な性教育はけしからんと言う主張。「思春期のためのラブ&ボディBOOK(厚生労働省が2002年に中学生向けに制作)、国会で非難の対象に、実質的に回収されると言う事件へ。
  • 知的障害のある青少年を対象に、「心と体の学習」と言う授業を、1部の都議会議員保守系メディア、東京都教育委員会の連携によって踏みにじられた事件。
  • ジェンダーフリーとは、子供たちを男だからこうあるべき、女だからこうすべきと言う枠組みに押込めずに、それぞれの個性と人権を尊重した教育を行うべきだと言う発想である。
  • 多数派と同じ生き方をしろと強いる権利は誰にもない。多様な生き方がどれだけ有利不利なく認める柳沢進む社会の成熟度を図る最高の物差し。
  • 自分より大きなものに枠付けられたい、他人の自由を許さずに枠付けたいと言う欲望が、バックラッシュの最も根底を形作る。
  • バックラッシュ派は秩序を尊重せよと言う口調、そこには現存する秩序だけが唯一の秩序ではないと言う認識が欠ける。
  • 差別のほとんどが、多数者から少数者に向けられる暴力であることを考えれば、単純に多数派が正しいと考える事は明らかに危険。
  • 民主主義=多数決と言う思い込みをきっぱりと捨てること。民主主義の本質は多数決などではなく、議論を尽くすと言うことにある。
  • 多数決は民主主義の限界を示す制度に過ぎない。
  • 多数派が暴走して少数派を痛めつけたりしないように、組織の成員すべてが多数決の限界を意識し続けること。