まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「博士の愛した数式」小川洋子

どんな本

ぼくの記憶は80分しかもたない。博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた。記憶力を失った博士にとって、私は常に新しい家政婦。博士は初対面の私に靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。

 

感想

有名だけど縁がなくスルーしてきた本著だが、書店で改めてプッシュされていて購入に至りついに購読。初代本屋大賞受賞作、後の大賞作は本書の影響なしではあり得ない。数学をテーマに本を書きたかったというあとがきのエピソードも必見の価値あり。

 

表紙

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要約・メモ

  • 数字は相手と握手するために差し出す右手であり、同時に自分の身を保護するオーバーでもあった。上から触っても身体のラインがたどれないくらい分厚くて重く、誰一人脱がせることの不可能なオーバーだった。それさえ着ていれば、彼は取り敢えず自分の居場所を確保できた。
  • 本当に正しい証明は、一分の隙もない完全な強固さとしなやかさが、矛盾せず調和しているものなのだ。たとえ間違ってはいなくても、うるさくて汚くて癇に障る証明はいくらでもある。分かるかい?なぜ星が美しいか、誰も説明できないのと同じように、数学の美を表現するのも困難だがね。
  • 私たちはただの広告の紙に、いつまでも視線を落としていた。瞬く星を結んで夜空に星座を描くように、博士の書いた数字が、淀みない一つの流れとなって巡っている様を目で追い掛けていた。
  • 散髪屋で見せた緊張は消え失せていた。枯れかけた小枝は、博士の意志を休みなく地面に刻み付けていった。いつしか二人の足元には、数式で編まれたレース模様が広がっていた。
  • 28=1+2+4+7+14と書いた。完全数だ。
  • 夜の風は心地よく、お腹は一杯で、ルートの左手は大丈夫だった。もうそれだけで、十分満足だった。博士と私の靴音は重なり合い、ルートの運動靴はプラプラ揺れていた
  • 何であれ雇い主のものをこっそり覗くのは、家政婦として最も恥ずべき行為だと承知した上で、それでも私がノートをめくってしまったのは、それがとても美しかったからだ。
  • 私はページを撫でた。博士の書き記した数式が指先に触れるのを感じた。数式たちが連なり合い、一本の鎖となって足元に長く垂れ下がっていた。私は一段一段、鎖を降りていゆく。風景は消え去り、光は射さず、音さえ届かないが怖くなどない。博士の示した道標は、なにものにも侵されない永遠の正しさを備えていると、よく知っているから。
  • やがてすすり泣きが聞こえてきた。最初それが彼の口から聞こえているとは気づかず、部屋のどこかで壊れたオルゴールが鳴っているのかと錯覚したほどだった。ルートが手を切った時耳にしたのとは種類の違う、誰のためでもない、ただ自分一人きりのための、ひっそりとした泣き声だった。
  • 彼が私だけに教えてくれた数字の魅力たちが、色あせてゆくような気がした。昨日も今日も、世界に何が起ころうと変わらず、数字はただそこに、あり続けているだけなのに。
  • 記憶の中では、博士とルートと私三人だけしか居ないはずの場所に、目新しい人物が割り込んでいたせいで、何とも言えず空気がぎくしゃくしていた。
  • 博士との短い付き合いの中で、知らず知らずのうち、私は数字や記号に対し、音楽や物語に対するのと同じような想像力を働かせるようになっていた。そのごく短い数式には、見捨てておけない重量感があった
  • 蟻がわがまま放題に行列を作っているような、赤ん坊が不恰好に積み木を重ねたような、偶然で無秩序で取り留めのない数字の羅列が、実は筋道の通った意志を持っているのだから、手に負えない。
  • 彼はルートを素数と同じように扱った素数がすべての自然数を成り立たせる素になっっているように、子供を自分たち大人にとって必要不可欠な原子と考えた。自分がここに存在できるのは、子供たちのおかげだと信じていた。