どんな本
読書ってそんなにえらいのだろうか。「パフォーマンス」をキーワードに、小説、人文書、マンガからハウツー本、楽譜、レシピ本まで。この世に存在する様々な本について考える読書の哲学/美学。
感想
「読書とはパフォーマンスである」という概念を手がかりに、神戸大学大学院卒・美学者の著者が読書の意味を問い直す一冊。大好きな青田麻未氏(ふつうの暮らしを美学する)の日常美学という観点にも通じて好印象。何より著者の読書愛・書店愛が伝わってくる。「一冊の本は小さな都市である」などハッとする言葉もの多数。佐々木マキ氏イラストの装丁カバーも魅力。
表紙

要約・メモ
本を読むとはどういうことなのか。読んでいるとき、私たちは何を体験しているのか。「読書とは〈パフォーマンス〉である」という概念を手がかりに、小説、人文書、マンガからハウツー本、楽譜、レシピまで、幾多の学問領域を渡り歩きながら、この世に存在する様々な本について考える読書の哲学/美学。本を読むことが無条件によいものとされる現代で、読書の意味を問い直す試み。
(はじめに)
- 読書術なんか大事ではない。本を読むことに正解を持ち込むやり方、観光ガイドみたいなもの。
- 私たちが本を読んでいるとき、いろんなことを感じて、考えている。
- 一冊の本は小さな都市である。
- (村上春樹)走ることについて語るときに僕の語ること。そして空だけが残る。
- 本を読んでいるときに感じることができること、考えられることがある。
- 本を読むことにはネガティブな側面もあるのでは。全肯定は愛ではない。
- この本は読書の哲学ということになる。本とは何かについて、読書を哲学していこう。
(第一章 へたな読書と上手な読書は何が違うのか―パフォーマンスとしての読書)
- ①パフォーマンスとしての読書
- 絵本「ごぶごぶ ごぼごぼ」村上春樹「かえるくん、東京を救う」
- ②読書のうまいへたは何で決まるのか
- ③他の人の読書を味わう:批評家はプロの「読書パフォーマー」
(第二章 物語を読むと他人が分かるようになるのか―あいだのパフォーマンス)
- いろいろな人間の心や世界の有り様を楽しめる。
- 三宅香帆「自分から遠く離れた文脈に触れること、それが読書なのである」
- 歴史学者リン・ハント「人々が小説を読むことで、人権が生まれた」
- ①私たちは、いつ本を読んでいないのか
- ネビル・シュート「渚にて」(1957年)
- ②でも、物語は役に立つかもしれない
- 哲学者グレゴリー・カリー:1モデルとしての物語説を批判。2共感の批判。効果が乏しい、逆効果もある。
(第三章 難しい人文書が分からなくてなぜ楽しいのか―分からなさと半信)
- 人文書を読むことはどんな読書パフォーマンスなのか。
- ①わからないのが楽しい。分からなさの感覚。
- ②本当に理解すること。分かりやすいものは、往々にして人を惹きつけない。
- ③ざっと分かる。確信ではなくとりあえずの半信accept。
(第四章 ハウツー本でなぜ元気になるのか―変身の予感)
- 読んだだけでは不十分、学んだ知見を実際に用いて、問題を解決するための本。
- 自己啓発書とは、毎日の成長のない日常から頭一つ抜けるための媒体。人間は基本的に自己改善の欲求を持っている。
- ①変身の予感。ハウツー本とは「変身の予感」を楽しむためのメディア。
- ハウツー本は文章でできた変身ベルトだ。
- ②なぜ本なのか。本を読むことを、かっこいい、美しい、パフォーマンスだとみなしているからに他ならない。
- ③ハウツー本の人類学。それを使って変身ごっこを楽しむ、何に変身したいと願うのかを学ぶ。
- 自分を開発することを楽しむ経験。マインドセットが変わるような体験が楽しいのである。
(第五章 なぜ雑誌は読み通せなくてもいいのか―回遊する時間帯)
- ①回遊する読書:雑誌の語源、マガジン、メガジン、メタジン。
- ある文章やイメージは、雑誌的なものとして読まれるとき、雑誌になる。
- 雑誌は、本の中で最も都市的な本。誰も読み通すことはできないもの。都市が歩き尽くせないのと同じく。
- ②くつろぎながらの背伸び:読者が雑誌を気にいるとはどういうことか。一つの世界観が誌面に配置されている「居場所」。
- 雑誌を読むとき私たちは試される。背伸びを要求される。
- 雑誌は消費メディア。くつろぎながらの背伸びが、雑誌の読書パフォーマンスの回遊性に彩りを与えている。
- ③読書の時間性:雑誌とは時間的メディア。時間共有の願望。想像の時間帯をつくることにある。
(第六章 マンガは本なのか―アトラクションと批評)
- ①マンガを読むことは読書か:小説や人文書を本の中核であるとみなす文化、これを仮に人文文化と呼ぶなら、人文文化の論理においては、マンガは小説や専門書のような本としては扱われてはこなかった。
- ②マンガの持つ読書パフォーマンスらしくなさ:マンガの固有性はフキダシのような非描写的な記号にある。非描写的記号の一番の機能は、読者の注意をコントロールすること。
- 本とは、私たちに特定の読書パフォーマンスをナビゲートする不思議な存在。
- マンガのナビゲートするアトラクション性が、読書パフォーマンスらしくなさを作り出している。
- マンガは本らしさが過剰にあるから、本らしくない。マンガはある意味で本過ぎるのである。
- ③マンガ批評の難しさ:マンガのナビゲーション性とアトラクション性が、マンガを批評する難しさを生み出していて、そして、その批評の難しさが、マンガの本らしくなさを作り出している。
- マンガ作品の芸術的な目的を読者が探す遊びが難しい。売上や人気という指標が、そのまま作品のよさを代表してしまいやすい。
- マンガのもっとも優れた批評は、マンガを描くこと。
(第七章 楽譜とレシピの何を読んでいるのか―自由と可能性)
- ①楽譜は本か:楽譜とは演奏をナビゲーションするもの。楽譜の面白さは、インストラクションと自由にある。楽譜はアトラクションではない。
- 小説とも少し違った読書パフォーマンスの楽しみ。楽譜それ自体が音楽の深い理解の助けとなる。
- ②料理レシピ本の文学性:楽譜とレシピには多くの共通点。クラシックの楽譜よりもずっと自由で、たぶんジャズの楽譜に近い。
- レシピの読書パフォーマンスとは、その材料と手順から、その料理の最終生産物と、その材料がある地域と、そして、その身振りの歴史を想像するような読書パフォーマンス。
- 私たちは、料理レシピ本を、たんに情報としてのみならず、豊な可能性として読書している。
(第八章 なぜ読んだ本をSNSで紹介するのか―装いと家具)
- ①本をまとう:本を用いたパフォーマンスもまた、読書パフォーマンスの一つとして理解したい。
- 読書とは、ページを開かずに、その表紙を人に見せて説明しているときにも実践されている何かだ。
- 読書パフォーマンスにおいては、どのような場所で、どのようなものを食べながら、どのような雰囲気や気分・感情のなかで読まれているかが重要。
- ②コーヒーテーブルブックとホテルペインティング:ハードカバーに収められた340〜500ページ程度の大型の本、正方形もしくは縦長である。
- 本を読むとき、その姿勢は重要である。
- 本らしさとは、形態(髪を綴じたもの)というよりも、その機能がどこにあるのかに基づいて通常判断されている。
(第九章 積読と書店めぐりは読むことなのか―庭とデモクラシー)
- ①本はそれ自体が思考する:本を並べることで、本が思考の流れを生み出してくれる。
- 読書パフォーマンスとは、実際に読むことだけではなく、本棚を理解することもまた含まれるはず。
- 積読は読書パフォーマンスである。
- 本棚を庭として考えて、この庭を世話する方法や手法を読書パフォーマンスの一環として考えてみたい。
- ②書店を読む:一冊一冊の本たちが集まることで、あたかも巨大な本になるように、私たちは、巨大な本の中を動き回りながら、考えをめぐらし、世界について何かを知ることができる。
- ③書店と民主的活動:書店は民主的空間のユートピアである。自分の立場を固定化せずに社会を盗み見ることのできる「盗み見民主主義」的な場として捉え直してみたい。
- 私は、小さな民主的活動を、書店をうろちょろすることで実践している。そして、あなたも、日々、実践しているのだ。
- 私は、書店をもっと読めるようになりたい。本をもっと読めるようになりたい。よりよい読書パフォーマンスをすることで、世界をもっと愛する力を高めたい。世界を、もっと読めるようになりたい。
(あとがき)
- 人間が果てない希望や深い絶望を抱いて、書き、編集し、出版する。本づくりとは、かけがえのない営み。
- 本を読む、と一口にいっても、あまりにも多種多様で、いいとか悪いとか言えないことが分かったはず。
- 読書は、ときに楽しく、ときに苦しい、不思議でまだまだ謎に包まれた経験。
- 私の愛する書店たち、それを支える書店員の方々、愛する本たち、それを生み出し伝えるすべての人々に感謝。