まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「私たちはどう学んでいるのか」鈴木宏昭

どんな本

教育現場ではこれまでのイメージから、間違った教育観が広まっている。その弊害をなくすために、認知科学の視点から「学び」の実態を科学的に明らかにする。日本認知科学会・元会長の著者による、教育に対する最新提言。

 

感想

内容が私には若干難解で読破に時間がかかり途中でくじけかけたのだが、最終章のまとめで、伝統芸能の伝承」に認知科学のミソが濃く詰まっているという点は正に目から鱗であった。巷に溢れる創造力教育プログラムの浅はかさをあらためて認識し、本来のあるべき教育の姿とその進むべき道筋を考える気付きを与えてくれた本書に心から感謝。

 

表紙

f:id:recosaku:20220811124309j:image

 

目次

  • 第1章 能力という虚構
  • 第2章 知識は構築される
  • 第3章 上達する
  • 第4章 育つ
  • 第5章 ひらめく
  • 第6章 教育をどう考えるか

 

要約・メモ

  • 本書は①認知的変化に働く②無意識的なメカニズムを③創発という観点から検討する。
  • ①多様な人の変化を統一的に扱いたいが、逆襲ではなく人の変化全般を意味する認知的変化と言う言葉を用いる。統一的にと言うのは、それらの根本が同じメカニズムで働いているから。
  • ②認知的変化が起きているまたは起きつつある人には知覚できないことがほとんどだから。
  • ③中枢の命令によらない要素同士の相互作用の集積によって、全体として特異的なシステムが生み出される。

(第一章)

  • 「認知的変化を考えるときに、能力と言う仮説は不要である。」
  • 4枚カード問題:表にアルファベット、裏に数字が書いてあるカードが4枚ある。このカードは「表が母音ならば裏は偶数」となるように作られている。ここに4枚のカードがあるが、この規則に従っているかを確かめたい。どのカードを裏返せば良いだろうか。何枚裏返しても構わないが、必要最小限の枚数にすること。
  • 「E」「P」「3」「8」
  • 答えは「E」と「3」。Eの裏が奇数、3の裏が母音だとルール違反になるから。初歩中の初歩の論理的思考を用いる問題

(第二章)

  • 知識や技能は伝えることができる、という信念が多くの人にあるが、知識は伝わらない
  • 書物は知識を文字に表したものでそれ自身が知識ではない。リンゴという字がリンゴではないのと同じ。
  • 書物から得たものは情報であり記憶
  • 有用性を持つ知識:①一般性、いろいろな場面で使える知識。②関係性、孤立した知識ではなく他の知識とリッチな関係を持つもの。③場面応答性、それが必要とされる場面で発動、起動させられること
  • 聞き手の視点、状況によりコトバは意味を変える。その領域での経験により食い違いが生じる。

(第三章)

  • 意識化された運動は、無数の意識できない運動の調整から創発されるものである。
  • うまくボールが打てるように何度も素振りを繰り返して「上達」する。技能やスキル。
  • 練習による上達で起こっていること:①タイム短縮はベキ乗則に従う。②操作のマクロ化、並列化、実行環境の構築。③上達の過程で起きるスランプ、前後の操作との調整が上手くいかない状態、調整がうまくいくとブレイクスルー。(スランプは次の飛躍のための準備段階)

(第四章)

  • 発達は段階的に進むとされるが、発達による変化にはうねりがあり、階段状に進むわけではない。うねりは複数のリソースが絶えず揺らいでいるから生み出される。
  • 発達段階論、子供に大人の考えを押し付けても無意味だという考え方を生んだ。児童中心主義と呼ばれ早期教育を否定。
  • 子供は別世界の住人ではない。

(第五章)

  • ひらめきは突然訪れるかのように語られる。しかしひらめきは練習による変化、発達による変化と同じ、つまり多様で冗長な認知リソースとその間の競合による揺らぎが、それが実行される環境と一体となり創発されるその過程の大半は無意識的に進む。だからひらめいたときの驚きは、実は自分の無意識的な心の働きに対してのもの
  • ウォーラスの唱えた発想のための4段階説:①準備(インパス)②あたため(培養)③ひらめき④検証
  • 制約は私たちの認知を支えてくれるもの。だから認知科学などの心の科学の領域では、製薬と言う用語はポジティブな意味を持つものとされる。しかしひらめきにおいては、これが逆に働く。制約が排除してしまうようなものの中に解が存在するから
  • ひらめきも頭の中だけで完結するわけではない。ひらめきのヒントは環境の中に存在していることもある。実際にパズルのピースを動かして、その様子を見ながら、意識的な無意識的な調整が行われ、その結果ひらめきが生み出される。つまり自分の身体を用いた行為、それによって生じる環境側の変化、そうしたことがひらめきのためのヒントとなる
  • 人はひらめきやすい頭に変化していくのだろうか→メタ学習:経験から学びやすくなるように、そうした変化を起こしやすくするような認知的変化。
  • ひらめきは練習による認知的変化、発達による認知的変化と同じ仕組み。
  • 巷でに溢れる創造力育成プログラムや関連書籍はとても限定的と言える。失敗を含む経験抜きにクリエイティブは起こらない
  • 素粒子物理学者・ギルバートシャピロ)「世界を変えるような科学的発見で、7つの物語に登場する事件で、その主人公の中に若かったり、無名だったりした科学者はほとんどいなかった。」
  • その分野、関連分野での経験を抜きに創造、ひらめきは生まれない

(第六章)

  • 教育には日常生活による素朴理論が多い。学校教育由来特殊な状況に基づく。100%間違いではないが、多くの誤りあり、認知的変化における創発を妨げる危険性がある。それを克服するヒント、ポランニーの暗黙的認識の理論、伝統芸能の伝承で行われる教育にある。
  • 素朴理論:人間が自分や他者の経験から教わることなしに知識を獲得し、それらが相互に繋がりあってゆるい体系を作り出していること。例えば「このキノコを食べて死んだ」と伝われば食べる危険を避けられる。
  • 学校教育由来の誤った素朴教育理論:「教えればできる」という信念に支えられている。「できる」肝は応用、獲得した知識を別の場面で利用できるか。知識の転移、学習の転移。それが起きにくい。
  • 「きちんと」教えることの致命的な弊害。それを拡充しるような3つのポリシー(文科省はじめ)。①アドミッションポリシー:何を目標にどんな学生を取り試験するか。②カリキュラムポリシー:どんな教育をどんな順番で。③ディプロマポリシー:卒業の資格を明確に
  • これらは不当なメタファー。どういう入試、どんな教育をしようとクローンのような卒業生は生み出されない。
  • 3ポリシーは工場メタファー。酒造メーカーのポリシーと同じ。①原料へのこだわり②科学的根拠に裏付けられた加工③最高峰の製品。工場でモノを生産するように人を育てる、多様性も揺らぎも創発も全く存在しない。これらが学校教育で義務化。文科省が進める改革という名の浅慮、蛮行の結果。
  • この教育ごっこを抜け出す方法はあるのだろうか。教育哲学者の生田久美子氏、日本の伝統芸能の技の獲得、熟達の過程を検討し、そこには学校教育とは全く異なる原理が働いていることを指摘。
  • 伝統芸能の学習過程は、模倣、繰り返し、習熟という過程をたどる。その筋道には非分割的であることが特徴。弟子は師匠のふるまいの全体を観察し、模倣する。基礎も応用も存在しない。最初から目指す全体像が示され、そこに向けて練習を重ねる。学校の学習と対照的
  • もう一つの特徴は、評価が不透明であること。師匠からのフィードバックは「だめ」「良い」という不透明なものだけ。なぜかが指摘されることは稀。自ら探索が必要
  • (生田氏・「わざから知る」より)「学習者自らが習得のプロセスで目標を生成的に拡大し、豊かにしていき、自らが次々と生成していく目標に応じて段階を設定している」
  • しょせん模倣では?という反論。「結果マネ」同じようにやること自体が目的となる模倣。「原因マネ」その技が生み出される原因を真似る。結果として演技自体を真似ることに。
  • 師匠は内弟子にほとんど言葉で伝えない、抽象的な批判を与える程度。内弟子は家事や雑事をこなす不利な条件が加わる。その代わりそれ以外の機会(他の弟子に稽古をつけている声、師匠の食事の好み、生活の呼吸のリズム等)に接する。身体全体を通して師匠の芸や発言、原因系を自然と理解できるようになる。
  • 学習者と教師の関係は、学校のように役割の固定したものではなく、同じ共同体のメンバーとなる。
  • マルセルモースの威光模倣の概念、師匠に対し威光を感じ、それが動機となって模倣を行う。強制的でなく、あくまで学習者が自ら価値判断し、相手を「善いもの」とみなすことが基礎にある。
  • 社会学者・宮台真司氏、「競争」や「理解」に加えて、感染動機を挙げる。特定の人物を敬愛しその人のようになりたい、同じように考えたいというタイプの動機。
  • 人類史には、偉人、発見、美しい理論がいくらでも存在。それらの助けを借りつつ、小手先のやり方や単なる事実(近接項)を伝えるのではなく、その先にあるもの(遠隔項)に向かわせる、そうした目線の高い姿こそが学習者に知識の構築を促す。このために教師自身が探求を愛する探究者そのものでなくてはならないし、遠くを見据えなければならない
  • ポランニーが指摘、もう一つの動機。「学習者の知的協力」教育は相互作用、教師側が一方的に努力しても成立しない。学生が自ら働きかけ、掘り下げ、拡げる、それらの努力なしに知識は生み出されない。教師側にも認知的変化が起きる
  • 学生がチャレンジして、自分の目が何度も見開かされてきた経験。教育とは知っていることを整理して伝えることではないのだ。
  • これからの日本、何かを新たに作り出す、創発させるためには、創発的視点を取り込む教育が必須。新しい価値を生み出す必要。
  • 創発というメガネをかけたり、外したり、別のメガネをかけることで、教育の様々な側面を観察し、自分にとっての問題とその解決を創発して欲しい。