まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「なぜ中学受験するのか?」おおたとしまさ

どんな本

名門校や秀才たちの輝きのみならず、塾歴社会や教育虐待などの教育の闇にも目を向けてきた現場主義の教育ジャーナリストが、ついに中学受験のメリット・デメリットを総括した渾身の1冊!中学受験は毒にも良薬にもなる。

 

感想

初っ端の第一章が日本の教育システムの解説、国際比較の内容で正直、取っ付き難かったところ。しかし第二章以降、中高一貫教育の意義への深掘りは目から鱗で、最終章のまとめへと繋がる流れはまさに圧巻。あらためて社会全体で子どもの教育投資(=私たちの未来)を考えても良いのではないかと思えた一冊。

 

表紙

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目次

  • はじめに
  • 第一章 12歳でやるか15歳でやるか
  • 第二章 シラバスよりハビトゥス
  • 第三章 バットを持つか鉛筆を持つか
  • 第四章 偏差値よりも生きる指針
  • おわりに

 

要約・メモ

  • 中学受験のメリット、デメリットを聞かれても答えは人それぞれ。その人の教育感、幸福感、人生観などの価値観が表れる。
  • なぜ中学受験するのか?に立ち戻ると解決の方針が見えてくる。
  • 本書の目的は、中学受験の有益性を強調することではない。①昨今の教育事情を俯瞰する、②教育と言う営みに関する理解を深める、③読者自身の教育観、幸福感、人生観などの価値観を明らかにすること。
  • 教育に関する選択に、正解はない。不正解もない。大切なのは、自分の選択の意味を正しく理解すること

(第一章)

  • 東大合格者に男子校出身者が多い理由:1960年代半ばまでは都立高校が上位を寡占、もともと合格者の大半は男子で共学校。学校群制度により都立共学校がランク外へ。残ったのが男子中高一貫校
  • 時代とともに反抗期が薄れていっている。精神的自立や批判的精神の涵養が不十分なまま大人になることを危惧。
  • 中高一貫校に通えば、高校受験を回避できる。その分、思春期や反抗期を謳歌する余地が生まれる。つまりゆとりである。
  • ゆとりの効果は学業だけでなく、趣味や部活動など自分の興味や関心があることに取り組める。
  • 12歳の時点で、5歳年上の先輩たちの姿を間近に見られる。反抗の対象である先生たちと穏やかに話す先輩の姿、それが成長なんだと気づく、未来の自分に対する信頼感を持てる。
  • 中高一貫校の卒業生はつながりがつよいとよく言われる、6年間と言う時間の長さではなく、思春期における葛藤と成長のストーリー全体をお互いによく知っているから。

(第二章)

  • 生徒は毎年入れ替わるし一人ひとり違うのだが、同じ学校の生徒には共通する「らしさ」が宿る。
  • 「らしさ」を身にまとうことこそ、高い学費を払って私学に通う意味
  • シラバスハビトゥス、後者は非言語的・非認知能力的。学校のにおい。
  • 私学は教員が異動しない。ハビトゥス濃度が高く、維持されやすい。
  • ブレない教育、不易流行(松尾芭蕉)。したたかな建学の精神をもつ学校のみが百年以上の歴史を積み重ねる。
  • 〇〇らしさは、誇りであり同時に問い。ハビトゥスは問いであり、学校は答えを見つけに行くところではなく、問いを授かるところ。
  • 学校説明会、プレゼンの盛り過ぎ注意。校長先生の立ち振る舞い、こうなりたいと思えるかを判断基準に。
  • 学力が拮抗しているからこその多様性。頻繁にリーダーとフォロワー入れ替わる。自分の殻を破る経験が12歳でできるのが中学受験。
  • 子どもの頃から損得勘定は良くない。根本の価値観、信念を持っておく事
  • 私学に学ぶとは、世の中の損得勘定に汚染されない、そこにしかない特異なハビトゥスを吸収しにいくこと。それが自分らしい幸せな人生を送る足がかりに。
  • そこで手に入れたハビトゥスは20〜30年後、プライスレスな輝きへ。

(第三章)

  • ノーベル賞経済学者・ジェームズヘックマン博士:幼児教育により非認知能力を育む大切さ主張。受けた子と受けない子、成長と共に差は消えたが大人になった後、年収や生活の豊かさに有意な差。測定できない何らかの能力。
  • (著書:幼児教育の経済学にて)意欲や長期的計画を実行する能力、他人との協働に必要な社会的・感情的制御=非認知能力。
  • 非認知能力の追跡調査の実験、中学受験に似ている。課題を計画・実行させ復習する過程。
  • 年間360日バットを振ったイチロー選手は評価されても、同じくらい勉強した小学生はかわいそうと言われる。その根元には、勝ち組になるための手段という思い込み。日本の教育への公的資金の投資比率低さもこのせい
  • 教育の受益者は教育を受けた本人だけでなく、その人物を含む社会全体のはず。社会に還元されれば社会全体が豊かになるから。
  • 本当の主犯は、あたかも平等に見える教育機会を前提とし、テストの点数で人を序列化することを公正な行為として受け入れた社会そのもの。メリトクラシーの大衆化。
  • 中学受験の歴史〜復習主義全盛時代へ、自分が100やってもライバルが101やってたら負け、102やる必要、キリがない。大食い競争を呈する。
  • 親は奮起しないこと。子どもが望んでいるのは良い成績よりも自分を信じて、努力を認めてくれる、悔しい気持ちに寄り添ってくれること。
  • 「自分の力でやってとった成績ならどんな成績だって誇らしい。自分なりの努力で入れる学校に堂々と通えれば十分立派。悔しくても試行錯誤で。その経験が人生の大きな財産。目先の偏差値よりも大切だから。」
  • 親こそ正解主義に囚われているのでは。最短距離で目的地に着くことが絶対善との刷り込み。しかし回り道や道草にこそ人生の味わい凝縮。日々の何気ない瞬間にこそ幸せが訪れる。
  • 不測の事態や不本意な状況、どう意味づけし、どうやって成長の糧にすべきか示すのが親の腕の見せどころ。
  • 中学生で方程式を習えば解ける問題をなぜ「つるかめ算」みたいな面倒くさい方法で解かせるのか?方程式という高級で便利な道具を持たない小学生が難問に対し、自分の持つあり合わせの原始的な道具を組み合わせて対処する訓練。あえて面倒くさい思考上の創意工夫の経験に意味がある。
  • 小学生段階の知識と技能でどこまで高度な思考が可能か、早く正確な答えでなく、何とかする知恵と度胸。人生の想定外は突然にある。

(第四章)

  • 大切なのは答えよりも問い:空手で負けた選手、やった意味やプライドなかったのか。勝ち負けは本質ではない。人間の本当の強さとは。
  • 良い学校を目指すのは人生の選択肢を増やすため→あまり賛同できない。そのために努力を重ねて良い学校に入ると、それによって増えた選択肢の差分からしか人生を選べなくなることがある。無限にあったはずの人生の選択肢をむしろ狭めてしまう。
  • 我が子がエリート校に。「だからなんだ。そんなものは世界に出たら何の役にも立たない。」と言ってやるのが本来の親の役割
  • 中学受験の経験から人として学べる教訓は何なのかを見極めることに親は注力してほしい。
  • 迷ったら引き算:子どもの心身に余裕があれば、自分でやると言い出す可能性も。自分で選んだものは一生懸命やれるし成果も出やすい。それが「やる気」。
  • 正解がない時代の正解は、子供の目を見て判断する。子供の目が輝いているのならそれはその子にとって正しい選択。
  • 子育てにおいて「待つ」とは「もう焦らない」と覚悟を決めること。どんな状況でもありのままを受け入れること。
  • 3年間の大冒険で親子が見つける宝、幼少期の延長とは違う絆、新たな信頼関係。
  • 事後的に正解を作り出す力:選択肢の中からどれか選ぶ場合、どんなに情報を集めて論理的に考えても正解はわからない。仮に1番良さそうな選択肢を選んだとしても、その後に努力が続けられなければそれが間違いだったことになる。逆にどんな不利な選択肢を選ぶことになっても、その環境を最大限に生かす努力を続けられれば、それを選んだことが正解になる。人生の決断の良し悪しは、決断した後に決まる

(著者まとめ)

  • ①「中高一貫教育は、大学受験のための先取り教育ではなく、豊かな思春期を謳歌するためのゆとり教育である。」
  • ②「私学とは、異端としての問いを授かるところであり、その独特の問いを抱え続けることで、卒業後も教育力が持続する。」
  • ③「中学受験の日々は、知らなかった世界があることを知り、数々の試練を経験し乗り越え、人として成長するための大冒険。」
  • ④「親子で未熟さをさらけ出し合い、正しさについて話し合い、新たな信頼関係を結び直すことで、それが親子双方の人生を支える。」

 

”中学受験だけではない。子育てや教育におけるすべての選択は、正解を求めるためにあるのではなく、自分自身の価値観に気づくためにあるのだと私は思う。”