まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「先生2.0 日本型新学校教育をつくる」能澤英樹

どんな本

このままでは立ち行かない!と積み重ねた活動と、統計データなど豊富な資料に裏付けされた確かな現状認識をもとに、解像度高くこれからの学校・教員・子ども・学びの姿を描く。

 

感想

学校現場から県教組、再び現場に戻り、複数のNPO法人で活動する著者だからこそ提案できる先生2.0へのアップデート法はまさに目から鱗の内容。学校現場がいかに限界を迎えているか、教職員の働き方改革を考える上で、一度は読んでおきたい必読書。これからも理解することを諦めない姿勢で、より良い学校づくりに貢献していきたいと心を新たにできた一冊。

 

表紙

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要約・メモ

スタンス1 制度に則る

スタンス2 二律背反を乗り越えない

スタンス3 「子どもの幸せ」が規準

 

(序章)

  • 本の学校教育は今、かなり厳しい状況。いじめ、不登校、教員の長時間労働など深刻。
  • 本書の目的は、この問題の原因と対応策を示すこと、言い換えれば「子どもの幸せ」と「教員の幸せ」を同時に成し遂げる筋道を示すこと
  • 大きなチャンス到来:①学校の働き方改革の風、②すべての児童・生徒への一人一台端末の配布、③多様性を認める社会への転換、④ブラック校則の見直し、⑤こども基本法の制定とこども家庭庁の設置。
  • 明治時代に始まった学校1.0は、基本構造を変えないまま学校1.1〜1.9へと。このまま1.9999と転換を拒み続けるのか、2.0へ進化するのかターニングポイント。
  • もしも理想の教育というものが世の中にあったとしたら、今の日本の学校教育は20〜30点程度。それを一気に100点にするような特効薬はない。
  • 本書が示すのは、読者が解決策を導き出すための条件整理。
  • 未来の教育に正解はない。ただ、誰かに任せて受け入れるのではなく、あなたも主体者としてこれからの教育をつくる一人になってほしい。

 

(第1章・学校と子どもたちの姿)

1.学校の姿

(1)学校という特殊な施設

  • 同一地区に生まれた、同年齢の子どもたちを集め、数十人ずつをグループにして部屋に入れ、半強制的に勉強させる。この無理な運用が、実は学校の苦しさの根源。
  • 世界のどの国でも、学校教育には頭を抱えている。学力低下、学力格差、反抗、いじめ、怠学、ドロップアウト。就学率が33%切る国がある中、日本の教育は超優等生。
  • 学校は生まれながらに大いなる困難を抱えている、という共通理解がまずは必要。
  • 教員の仕事の80%は「荒れ」対策である。
  • 子どもを統制する方法:①興味、楽しみ、②友好関係、③納得、④ローカルルールと懲戒、⑤同調圧力、⑥評価。
  • 学校を運営していくためには、子どもを統率するという大きなエネルギーが必要。授業というスタートラインに着くまでの基礎代謝が非常に大きい。

(2)ブラックボックスの中の教員の姿

  • 学校はブラックボックス。教員自身も何をしているのかがよく分かっていない。
  • 給特法のような個人裁量の大きい制度下でこそ「何をやって、何をやらないか」に慎重でなければいけない

2.ここ30年で起きた学校の変質

(1)学校の変質を理解するための6つのキーワード

  • 新自由主義
  • 国の事業を切り離して民間に移行する施設を小さな政府と呼ぶ。
  • 競争原理の中でよりよいサービスを国民に提供できるという考え方。
  • 中曽根首相は日本の新自由主義の先駆け。
  • 小泉政権下では、自治体も切り離しに。交付金削減、税収増やしたければ自治体で努力せよ、結果的に自治体の税収低下に。
  • これらの新自由主義施策に国の根幹揺らぎ。最大の弊害は格差拡大。
  • 郵政民営化、労働者派遣法に続き、まさか学校がターゲットに。
  • 義務教育費国庫負担法、従来の教育予算1/2から1/3へ。
  • 2006年PISAの結果、学力低下が叫ばれ全国学力学習状況調査が開始。全国一斉の学力レースに。
  • 全国の学校が自由競争の土台に乗せられた
  • ②学校万能論
  • 子どもの事に関して学校は何でもできる、学校は何でもするべきだ、という誤解。
  • ここ30年間、国民の意識に根付き繁茂。
  • 本来、校門を出た後の子どもたちの行動に対して学校には責任はない
  • ③教員聖職者論
  • 徹底した子どもファーストであれという考え方。
  • 普段の生活も子どもの見本であれ。
  • ④学校教育の法化現象
  • かつて学校は「子ども・教員・保護者」が信頼関係のもとで教育という営みを進めてきた。訴訟爆発が起こり、アメリカの基準は法に置き換わった。
  • 学校において法は「刀」のようなもの。
  • 膝と膝を突き合わせて話し合っていたところに突然刀を持ってくるようなもの。
  • 2020年度、文科省はスクールロイヤー配置決定。刀に刀で対応。信頼関係を基盤とする教育をあきらめた、という歴史的ターニングポイント。
  • ⑤感情が制度を歪める
  • うちは共働きだから早く学校の玄関を開けて欲しい、という保護者の要求。
  • 登校時間が早まり、教員の勤務時間前に子どもたちが登校する。
  • 朝ごはんを食べてこない子に担任がおにぎりを与えたら効果が出たり、不登校傾向の子を迎えて行って連れてきたりも、感情が制度を歪める事例。
  • 教員の負担を際限なく高めてしまう。
  • ⑥完璧主義
  • 学校に限らず社会全体の傾向。
  • 1995年のPL法、製造物責任法は、製造物の欠陥が原因で被害者を出した場合、賠償責任が発生するという法律。
  • マンナンライフ蒟蒻畑を食べて子どもが窒息死した訴訟。
  • 何でもかんでも製造者の責任に、顧客意識の上昇が社会全体へ。
  • お客様の声コーナー、患者様の声、消費者からのクレーム。
  • 顧客・受益者からの鋭い矢は企業や公官庁へ。代金や税金を受け取る代わりに「完璧」でなければならなくなった。今、あらゆる製品やサービスは、どこから矢が飛んできても防御が可能なように完璧な機能を兼ね備えようとしている。
  • しかし、非常にコストかかり、お互いを疲弊させる。消費者・受益者がクレームをつけて労働者の首を絞める。
  • この完璧主義の思考は、子どもという極めて不完全な対象を扱う学校にも遠慮なく入り込み、クレームを回避するためあらゆる手立て。疲弊する業務増加。

(2)学校に何が起こったのか

  • ①転機となった校内暴力:1980年代、当時学校は体罰を黙認、先生は恐い存在、やんちゃをしたことを親が知れば親に叱られた。大人の腕力による統制が機能していた。校内暴力がその常識を覆した。
  • 中学生が学校の窓ガラス叩き割って回り、授業中に煙草を吸い、廊下をオートバイが走る、全国で悪行発生。
  • 大人の腕力を子どもの腕力が上回り機能不全に。二つの道の選択肢。
  • 一つは、警察や教育委員会など連携しさらに強い力で統制するという道。もう一つは、子どもと信頼関係を結び、腕力に頼らない統制を行うという道。
  • 学校は後者を選択、子どもたちを警察に突き出し、教え子を犯罪者に。子どもを成長させるという使命の敗北であり、学校の敗北を意味。
  • ②サービス意識の上昇と隠ぺい体質
  • ③子どもたちの変化「学級崩壊」
  • ④安全管理義務という重責:人は配置されず予算もつかず、学校には責任や負担だけが増えるという施策がいくつも出現。
  • ⑤急激な教育改革:2002年、週5日制ゆとり教育が開始。息苦しくなっていく学校に吹いた唯一の優しい風。(作者が教員として働いた30年あまりで、唯一行程できる施策)
  • ⑥学校バッシングの風:1990年代バブル崩壊のあと、リストラ、民間の厳しい環境、公務員バッシングの風。
  • 教員の不祥事を大きく報道。教員聖職者論が強化、問題ある教員は叩かれて当然という見方。
  • 学校はさらに守りに、保護者の要求へ出来る限り応じ、行事では子供の活躍が目に見えるよう練習、部活動も過熱化。
  • ⑦学校スタンダードゆとり教育開始からわずか1年でもっと高度な学習しても良いの方針。〇〇学校スタンダードという形で、持ち物や姿勢、授業の進め方、ノートの書き方に標準が定められ(完璧主義)、子どもたちへの締め付け強化。きちんとやることが気持ち良くなるが、苦手な子にはつらい。教員が子どもたちの首を絞め始めた。
  • ⑧パートナーから受益者になった保護者学校評価制度により、保護者がパートナーから傍観者へ、そして受益者へ。モンペが浸透。学校はなんとかしてくれるはず、という期待に満ちている。当時の管理職、先回りしてサービス提供し高い評価、しかし子どものためとは思えない業務が次々増加。
  • ⑨子どもたちの問題行動と教員の多忙の負の連鎖:2010年文科省より生徒指導提要、問題行動への対処方法。事件が発生するとチーム対応、放課後にケース会議で関係職員が協議、長時間労働と強い心労に苦しむ。力を合わせて自分達だけでやれという宣言。警察との連携という言葉出現、子どもを犯罪者にしたくない心理で、学校内だけで解決が多い。学校教育の法化が顕在化、2011年大津いじめ事件によりいじめ防止対策推進法が制定。定期的ないじめ調査も開始。家庭で与えられたスマホでのトラブルまで学校が解決に当たる。近年、SCやSSWが全校配置されているが在中時間短く十分に活用しづらい。
  • ⑩増え続ける教育内容・増えない人員:2013年脱ゆとりを掲げた学習指導要領、外国語学習開始。教員からは不満。本来英語を教える人員を配置する予算が必要だが、自治体の懐だのみで自前の英語講師やALTを雇用。自治体間で教育格差浮き彫り。英語専科の教員配置は、全国19000校中わずか3000人。その後も予算を取らずに施策が増える素人のような改革増加。道徳教育、キャアリアパスポート、プログラミング教育、GIGAスクールなど。それが子どものためになるかという視点よりもどれだけの予算を獲得できるか。それが執行されているか検証のための学校からの報告義務。新自由主義による教育予算の削減と競争の導入。さまざまな教育課題が生じるたびに対処療法的な施策、人員追いつかず教員を苦しめ。病気休職者数は過去最多に。
  • 教育委員会:県教委と市区町村教委、政令都市教委がある。役割は大きく①教員の人事及び給与、②服務監督、③施設設備の管理という責務。子どもたちのために汗をかいているのは十分承知だが、保護者や地域に存在感アピールしなければ予算確保ままならない。ついに教員志願者は減少し、学校がブラック職場に、なり手不足へ。それは人災と言える。

 

3.子どもたちの姿

(1)見えない未来に向かって歩く子どもたち

  • ①勉強しないと大変なことになる:子どもたちに質問、どうして勉強がんばっているのか。「勉強しなかったら将来大変なことになるから」、大変なこととは「仕事につけなくてお金が稼げない」と同様の答え。多くの子が見えない恐怖に追い立てられ、見えない未来に向け走らされている状況
  • 昭和世代は、いい大学に入ればいい暮らしが待っている、事実そうだった。学力と収入と社会的地位が相関保っていた。我が子に不憫な思いをさせたくない一心で塾や家庭教師にお金かけた。これが崩れたのがバブル崩壊によるリストラ、非正規雇用の増加、リーマンショックによる求人倍率低下。たとえ大学を卒業しても安定収入とはならない。だが実際に高卒と大卒を比較してみると、数千万円の収入差が存在。非正規雇用では話しは一転、中卒者が上回る現象も。若者の収入格差は婚姻率、出生率にも確実に影響。
  • ②子どもたちを支えきれない保護者:子どもの7人に1人が相対的貧困。2人世帯で手取り年収175万、3人世帯で215万。これを割り込むと標準的な生活しづらくなる。収入少なく進学させられなくても、仕事を休めず子どもが不適応を起こしても、親の自己責任という日本の厳しい現実。
  • ③子どもに優しくない国:2022年OECD発表、国内総生産に占める教育機関への公的支出の割合。日本は37か国中36位貧困層など弱い立場にいる子どもに厳しい日本。給付ではなく、奨学金すら返還義務のある貸与が中心。
  • ④自己責任社会:2007年アメリカの調査、国は貧しい人々の面倒を見るべきという考えに対し、同意すると答えた人はイギリス91%に対し日本は47か国中最低の59%。人様にだけは迷惑をかけるなという教え、人に頼ることは良くないことと刷り込み自己責任論に着地。新自由主義と親和性高い。少数弱者の声は社会に響かないし、自己責任という壁で消滅。いつ自分が少数弱者になってもおかしくない構造。「勉強しないと大変なことになる」という子どもの声は、現実の社会を的確に捉えているとさえ思える。

(2)学力

  • 日本の子どもの問題課題解決能力は高い。低学力層が少なく、中~高学力層が多い。
  • 新井紀子(AI vs. 教科書が読めない子どもたち)、中高生の基本的な読解力の低さを指摘。AIに仕事を奪われた大量の失業者が街にあふれるシナリオも。

(3)満足度・幸福度・自己肯定感

  • ①満足度:学校は楽しいかという調査に比較的高い満足度。
  • ②幸福度:2020ユニセフ、幸福度ランキング発表。先進国38か国中20位。身体的健康1位でありながら、精神的幸福度37位というギャップ。自殺率も高い。
  • 健康で学力が高くても自殺率が高く、生活に満足しておらず、友達もすぐにはできないというのが日本の子ども像。
  • ③自己肯定感:自分には良いところがあると思いますかの問い、比較的高い結果。しかし、2018内閣府の調査、世界7か国で「自分自身に満足している」は、他国74~87%に対し、日本は45.1%と低い。

(4)涙を流す子どもたち

  • 不登校文科省が発表した不登校児童数「爆上がり」、20人に1人の割合でもはや不登校は当たり前。
  • 理由:無気力・不安(49.7%)、生活リズムの乱れ・遊び・非行(11.7%)、友人関係トラブル(9.7%)、親子の関わり方(8.0%)、学業不振(5.2%)と続く。
  • ②いじめ:ここ10年ほどで小中学校の認知件数は急上昇。認知件数が多くなったのは学校がいじめを積極的に認知した結果と受け止め。
  • ③暴力行為:2013年から2021年にかけて中学校で減少に対して、小学校が4倍に跳ね上がり。文科省の定義「暴力行為」とは自校の児童生徒が故意に有形力を加える行為。中学3年は義務教育9年間で最も少ない。高校受験前にセルフコントロールを強めていると予想。
  • 学校は、校内暴力を契機に子どもたちを抱え込み、信頼関係をもとに教育活動を進めてきた。その弊害として、暴行罪で逮捕されるような子どもの行為が、叱られて終わるというような社会との隔離が学校の常識となってしまっている。
  • ④学級崩壊:文科省はこの言葉を使っていない。学級がうまく機能しない状況。学級崩壊の最大の被害者は担任。担任が受ける精神的な負担は相当。教員の業務は教科指導と生徒指導を同時にこなすアクロバット。学級崩壊が起きないように、日々積み重ねている数多の指導があり、学校の努力の結晶。
  • ⑤学業不振:「地域のすべての子どもたちを半強制的に集めて勉強をさせる」制度である学校において、勉強が苦手であることは大きな苦痛。9年間の義務教育では学び直しがしたくても公立学校では学べない。進学、就職の選択肢狭まる。学力の高い人が有利になる仕組み。そして仕上げが「自己責任」。卒業した後の人生には一切関与しない。
  • 発達障害自閉症スペクトラムASD)、注意欠如・多動症ADHD)、学習障害(LD)の大きく3つに分類。この診断は医師のみが可能で、教員が自分の見立てで判断してはいけない。
  • 教科を教えるだけの人員しかいない学校に、発達障害をもった子どもたちを支えるだけの力はない。その結果、学校という制度に閉じ込められた多くの子どもたちが、涙を流さざるを得ない。
  • ⑦障害:特別支援学校や学級で「特別支援教育」を受ける。隔離教育、差別として世界からは非難の声もある。
  • 2006年国連で採択された「障害者の権利に関する条約」で、インクルーシブ教育の考え方に基づき、学ぶ場や環境を分けられることなく、一人ひとりの能力や苦手と向き合いながら共に学ぶ教育が示された。日本も批准したが隔離教育は改善せず。本人や保護者の意見を尊重しつつ総合的に判断。
  • 一般の教室で障害をもつ子が一緒に学ぶとすれば、それに必要な設備や人員が必要になる。合理的配慮が不十分な状態で、機会的にインクルーシブ教育を進めると、子どもの学ぶ機会を保証できないという別の問題も。障害をもつ子の中には、特別支援学校で専門的な指導を受けたことによって就職し、自分で賃金を得て生活できるようになる子もいる。
  • 多くの人は「自分は障害とは無縁」と思っているかもしれないが、例えば交通事故で身体や機能の一部を失ったり、自分の子どもが障害をもって生まれてきたりすれば、日本が障害に対してどれだけ冷たい国であるか思い知ることになる。
  • ⑧虐待:児童相談所への虐待相談件数は爆上がり。85人に1人の割合。学校から見える虐待の実態はネグレクトの増加。養育力、教育力を失っている保護者が増加。
  • 学校ができることは、子どもが虐待を受けていないか感知するアンテナの感度を高めること。問題なのは教員の多忙。子どもたちが発するサインを感知できるかどうか。
  • ヤングケアラーの問題、この解決の糸口に対し、社会の目が学校に向いてはいないだろうか。学校万能論に支配された思考では致し方ない。だが学校教育で何とかできる問題ではない。
  • ⑨自殺:世界の中でも日本は自殺する子どもの割合がロシアに次いで高く、アメリカと比べて2倍ほど。リストカットなどの自傷行為、10人に1人という恐るべき値。
  • 子どもの自殺の根底には、①社会を支配する同調圧力、②完璧主義・成果主義的なものの見方、③保護者の教育力・養育力の低下という問題。このような社会構造、黙っていると自己責任に追いやられてしまう。
  • ⑩ネット依存:病的なインターネット依存が疑われる中高生は全国で93万人という調査結果。ネット依存の中で最も割合が高いのがゲーム依存。

(5)教育のラストワンマイル

  • これらの現状は、教員の指導の問題というより、学校の構造の問題。学校では秩序維持がまず大きな課題。ローカルルールと懲戒、同調圧力、評価の圧力で対応し、学級崩壊が1%以下という奇跡達成。
  • 言われたことを従順に受け入れることが正しいという価値観を叩き込まれ、自尊心や自立性は抑え込まれる。
  • 結果が思わしくないのは、努力が足りなかったからだと自己責任論を叩き込まれる。
  • このがんじがらめの強固なパッケージを破壊することが可能だとすれば、それは教育の力しかないのではないか。
  • 小説「ラストワンマイル」(最後に物をお客さんに届ける力)は自分たちにあることを認識し、不当な要求をはねつけるという話。同じように子どもたちへの教育のラストワンマイルを握るのは教員。誰もが幸せに生きる社会への扉の鍵はぼくら教員が持っていることを忘れてないならない。

 

(第2章・論点整理)

1.制度はどうなっているのか

(1)学校は何を教えるところか

  • ①PTA役員の問いかけ:学校は何を教えるところか。私のシンプルな答えは「学習指導要領に示された内容を教える」ということ。
  • ②上位目標を確かめる:学校は「勉強するところ」であり、「人間性を育てるところ」であり、「人と人とのかかわりを学ぶ」ところ。これを年間1015コマという限られた時間で教えるのには限界ある。

(2)非認知能力、思い出、という副産物

  • ①非認知能力に高まる期待:学校教育の役割を勉強と勉強以外に分けた時、前者を認知能力、後者を非認知能力と呼ぶのが一般的。
  • 捉えどころがないけど大切、非認知能力が上がりそうな場面をありったけ入れてしまえ、という考えになりがち。それが部活動や学校行事の肥大化をもたらしたのでは。そこに「感動」が絡むとさらに肥大化は加速。
  • がんばる、や真面目に、が苦手な弱者には極めて息苦しい。日本の子どもたちは自己肯定感や自己有用感、幸福度などメンタル面でのスコア低い。非認知能力の育成に大きな労力をかけながら子どもの幸せが実現できていないという皮肉
  • ②「思い出」に対する過度な期待:コロナで一斉休校、多くの人の関心ごと「卒業式ができなくてかわいそう」。学校は思い出を作る場所という期待
  • 年間1015コマを維持したままで教員が健康に働くことができる着地点、私は「学校行事は年間35コマ」「部活動は1日50分を週3回」が適正値と考える。

(3)教員は聖職者なのか

  • ①法律上の位置づけ:聖職者か労働者か。教育基本法では「自己の崇高な使命を深く自覚し」とある。聖職とまで言わずも他の職より厳格なモラル求められる。教育公務員特例法で教育公務員について特有の定め。給特法もしかり、制度上は聖職者という位置づけはどこにもない。
  • ②教員聖職者論が起こる時:早期退職事件(2013年、退職金減額を避けようと全国で年度末に駆け込み退職する問題が議論)、担任入学式欠席事件(2014年、高1の学級担任が入学式を欠席し、同日行われた長男の高校入学式に出席し議論に)、若槻千夏炎上事件(2019年、学校の働き方改革で18時以降は留守番電話にしていることを批判コメントしネット炎上)。
  • 3つの事件ではどれも法的には問題ないが、「教員にはこうあってほしい」が発生。
  • ③職員室にはびこる聖職者論:教員相互にも存在。教員がお互いの得意分野やこだわりを業務として積み上げる相互圧力構造も、教員聖職者論をベースにしている。
  • 今まず必要なのは、教育関係者が「教員は聖職者ではない」という共通理解のもとで議論をすすめること。特に教員自身がその意識を捨てないと学校は苦しいまま。

(4)教員の職務は何か

  • ①教員の勤務時間:2022年の調査、教員の一日の休憩時間の平均は、小学校で9.4分、中学校で13分、高校で28分だった。小学校では休憩時間0分の回答が4割以上だった。
  • ②教員の義務:学校教育法第37条「教諭は、児童の教育をつかさどる。」極端な言い方をすれば、一部の子どもたちが騒いでいようが寝ていようが淡々と授業を進め、教科書の内容を全て終えれば、責任は果たされることになる。
  • ③子どもたちの安全管理:安全管理は自動発生する重要な教員の責務。賠償責任が発生するほどの重要事項。
  • ④教員の最低業務:現実的にはすべての教員が定時出勤・定時退勤を行った場合、子どもたちの荒れが発生すると学校教育の機能不全が起こる。問題行動を起こす子どもを次々と出席停止にするという方法もあるが、それも別の意味で教育の機能不全である。

(5)時間外在校等時間の上限規則

  • ①2020年度からの新基準:教員の長時間労働がついに社会問題化し、中教審より方策が発出。給特法が改正、対症療法的な修正にとどまる。
  • ②なぜ月45時間、年間360時間なのか:月45時間は7時間30分の睡眠時間を保障するための制度。働く者の命と健康を守るための基準。
  • ③優先順位を考える:人員の確保が困難な今、「業務の削減」しか選択肢はない。今必要なのは「マスト業務」と「ベター業務」の仕分けをし、教員の時間外在校等時間を年間360時間に収めること。

 

2.「自由」と「平等」の二律背反

  • 日本の子どもたちのメンタル面でのスコアが芳しくないこと。これは日本の教育が「平等」を重視し、子どもたちを枠の中に押し込めようとしてきたことの負の側面であると考えられる。一方で、子どもたちを半強制的に学校で学習させることによって、学力は非常によいスコアを叩き出し、学力格差も小さい。
  • そのような中、学校教育は今大きな地殻変動を起こしつつある。「平等」から「自由」への転換が起きようとしている。それを象徴するのが「ブラック校則問題」と「1人1台端末の導入」である。キーワードは「多様性」である。

(1)地殻変動と激震

  • ①抑え続けられた「多様性」:みんなちがって、みんないい(金子みすずの私と小鳥とすずと)。残念ながら学校は細かく型にあてはめる。一方、社会は多様性を認める概念広まる。
  • 学校に多様性が持ち込まれたのは今が初めてではない。1989年の学習指導要領、個性を生かす教育の充実。茶髪も個性なのか、勉強しないのも個性なのか、議論勃発。多様性は個性論争の再来。
  • ②ブラック校則の見直し:子どもがそれぞれの意思で自己決定する機会を与え、多様性への道を拓くことになる。ただ、この道のりは簡単ではない。ランドセルのマスコット一つでも多くの混乱。髪型、髪の色、靴下、下着、文房具、廊下の歩き方などあらゆる分野で混乱と向き合うことに。
  • 松岡亮二さんが指摘する「どちらに進んでも誰かの可能性が失われるー血が流れる」ことに自覚的でありながら議論をすすめたい。
  • タブレットがもたらす激震:今日は学校で勉強しよう、明日は雨だから家でリモートで授業を受けよう、という自由が子どもたちに与えられようとしている。場所の自由化は内容の自由化へと変わる。
  • 学校に行かないという選択を認めることで、支援が行き届かなくなる子が増えることは避けようがない。多様性の先にも誰かの血が流れる

(2)「自由」と「平等」のどちらに舵を切るのか

  • ①「自由」へのシナリオ:自由へ舵を切ることは、弱肉強食の新自由主義への転換ともいえる。ただ、これだけでは子どもを幸せな方向に導くことにはならない。必要なのは「多様性を認める」学校への転換
  • 多様性の尊重は個人の意志(時にわがまま)を何でも認めるということではない。お互いの意志を尊重しながら、折り合いをつけていく過程そのものが多様性の尊重。
  • 「多数決」は民主的な方法だが、多様性も尊重するならば、少数意見の声にも耳を傾け、少なくとも少数派が精神的な苦痛を受けないようにする配慮が必要になる。
  • 「自由」に軸足を置いた時に、同時に発生するのが「自己責任」。やる気が起きず勉強を先送りした子の場合、後からやるといったのにやらないのであれば自己責任で、それ以上は面倒を見切れないという文脈が発生する。
  • 多くの教員はこのような自由な状況を好まない。勉強がわからない子にどうやって支援すればよいか、子どもたちの平等、公平を維持することに心を砕いてきた。
  • その先にあるのは社会の分断。高学歴の保護者は我が子を勉強する方向に上手く導く。低学歴の保護者は勉強なんてしなくても生きていける、ことを学んでいる。社会は、AIとロボットの進出により、高学歴層のみを労働力として求める方向に動くと予想。勉強しないという選択をした子がどれだけ不利益を被ったとしても、それは自己責任ですまされる。
  • 多様性という一見優しい方向性は、十分な慎重さと時間とお金のコストを払う覚悟がないと、「格差」と「自己責任」に支配された世界に学校を導くことになる。
  • ②「平等」を貫くシナリオ:平等の弊害も明らか。落ちこぼれ問題、子どもたちが自分で考えたり選んだりする機会の減少、自主・自立・自律など育みにくい。
  • これまで同様、多くの子どもたちを半強制的に集め、問題行動に目を光らせ、これまで同様の学校を維持していく。それによって守られるのは世界に誇られる学力ランキング。その陰で学校の息苦しさに苦しむ少数弱者の子どもたちの声は封印され救いの手を差し伸べられることはない。
  • 自由を認めないという立ち位置は「責任は学校がすべて請け負う」という宣言。基礎代謝が極めて高いこの働き方はすでに「持続可能性がない」ことが確認されている。問題行動や不適応への対応に追われ、授業の準備をする余裕もない働き方がこれからも続く。
  • 今まで通り「平等」に軸足を置いても「自由・多様性」に軸足を移しても、必ず困難は生まれる。その困難を自覚した上での転換が必要。

 

(第3章・未来の学校を描く)

1.教員の多忙を解決する

  • 富山県職員組合2019年アンケート「教員が多忙なことで、子どもたちに不利益が生じていると思うことは何ですか」の問いに1位「話を聞いてほしい子にゆっくり向き合えない」2位「学習でつまずいている子に時間を取って教えることができない」。
  • 教員が頑張っている状態では、持続可能性はない。特給法で教員には時間外勤務を命じないとの定め。時間内に業務が終わることが大前提。定時退勤が難しいのであれば、時間外在校等時間年間360時間を守れる119%が妥協点。

(1)年間360時間でできることは何か

  • ①年間授業時数の適正化:年間1015コマの授業時数が標準。しかしこれを上回るのが現実。小学校で平均1120.8コマ、中学校で平均1114.7コマ。それに対し、児童会、生徒会活動、クラブ活動、学校行事には標準がない。問題は、教科等が標準を50コマ程度上回っている点、学校行事が53.5時間と多く取られている点。
  • ②年間1070コマの運用:富山県教育委員会の調査で、年間最も時間外在校等時間が多い月は1学期の4月5月6月。年間の多忙トップ3。小中高で共通。ここでの労働時間を抑制することが安全管理対策として必要だと声を大にして言いたい。
  • 準備をする時間の確保。時間を与えずに仕事を課す、のが学校の悪き習慣、今こそ現実的な業務形態へ変えていくこと。
  • ③1日の校時運用:子どもが下校してから3時間で業務を終えれば、年間360時間のハードルはクリアできる。問題は学級崩壊やいじめなどの重大な問題行動が発生した場合。
  • 「時間を与えずに業務を課す」状態から「業務を進める時間を与える」状態に切替え。スムーズな授業、子どもたちのストレス減、問題行動も起きにくい好循環へ。

(2)学校行事と部活動の適正値

  • ①学校行事:準備も含め35コマが理想。身体測定、眼科検診、避難訓練などマストのもの、始業式、終業式などできればやっておきたいもの。
  • 応援団や合唱コンクールの練習を朝練でこなす実態、大きな負担。修学旅行。運動会、文化祭もしたければ部活動を減らす選択も。学校の教育活動には上限がある。
  • この上限で何をするかは、子どもや保護者も巻き込んだ議論にしていくこと。
  • 子どもたちに聞いてみると親が思っているほど運動会が好きではない。修学旅行も「行かせてやりたい」という大人の論が先走っている。
  • ②部活動:現在の制度の中では違法と言っても過言ではない状態。
  • 部活動をもっと長時間やりたい、やるべきというのであれば、国レベルで制度を変える要求をするべき。ネット署名、議員請願、文科省への提言など方法を駆使して。
  • 現状は、部活動反対派がSNSで部活動批判を展開。本来は部活動賛成派が制度の中にしっかりと部活動を位置付けるよう求めていくのがあるべき姿。
  • 私が考える部活動改革の問題点。1子どもの自由時間が増えることによるゲーム・SNSの時間の増加(視力、体力、依存症等の問題)、2競技や文化活動に打ち込みたい子の機会の損失、3部活動に参加する費用の発生、4問題行動の増加。

(3)削減のデメリット

  • ①学校行事:コロナ禍での経験済み。1進級・進学の意識を持てない子どもがいた、2子どもたちがジャンプ(急成長)する機会が失われた、3思い出を作れなくてかわいそうだった。
  • ②部活動:極端に縮減されることのデメリット。1子どもの自由時間が増えることによるゲーム、SNSの時間の増加、2競技や文化活動に打ち込みたい子の機会の喪失、3部活動に参加する費用の発生、4問題行動の増加。
  • 私の結論:学校の「教育活動としての部活動は、教員の勤務時間でできる範囲の時間(例えば50分)を週数回」もしくは「行わない」。
  • 一気に改革を進めるのは難しいが、例えば18時まで部活動をしている状況なら、来年度は17時30分まで、と段階的に時間縮小、その間に子どもたちを含め関係者で議論。それぞれの学校でスタイル構築。
  • 部活動とは関係なく、ネット依存、ゲーム依存への対策を厚労省文科省に、社会教育を受ける際の費用の問題をスポーツ庁文化庁に進めてもらう。子ども家庭庁にも解決に取り組んでもらう

2.撤退戦のすすめ方

  • 学校の業務削減、背中を見せるだけでは後ろから切りつけられる。削減には策略が必要。それを撤退戦と呼ぶ。戦国時代においての高度な戦い方。
  • 撤退戦は大きく、職員室内の意識改革と働き方改革、学校外部の保護者や地域への対応に分かれる。

(1)SOSを出す(関係者を主体者にする)

  • まず必要なのは「SOSの発信」。保護者や地域に包み隠さず、泣きを入れること。
  • 具体的にな姿、80時間、100時間以上の残業がある先生の睡眠不足、小さな子を持つ先生の退職、誰かが倒れたら代替の教員は来ない。
  • どうすれば良いか非常に悩んでいますと言えば、こすればどうかという意見が出てくるかも、関係者を主体者にする転換が起こる。
  • 本書で強調してきたように、これまでの運用が本来制度を逸脱したものであり、行事にも部活動にも上限が必要なことを説明。

(2)重点策を打ち出す

  • 「総論賛成、各論反対」という現象起こる。先生が忙しいのはわかるが、一日だけは、宿題だけは、部活動だけは、、。
  • 必要なのが重点策。今後、この部分に力を入れるので、この部分は削減したい、という代替え案を提示すること。
  • 何でもかんでも教員が抱えるのではなく、子供や地域に手渡していき、教員が本務に集中できる環境を作ることが大切であるという意識。
  • その大きなターニングポイントになるうるのがこども基本法

(3)子どもたちの声を聞く

  • 2023年施行されたこども基本法自治体ごとのこども計画、子ども権利条例の整備が全国へ。意見表明権を具体的に行使できる環境づくりが今後進む。
  • 教育の主体者である子どもの意見は重い。保護者や地域に提案しても受け入れられにくい改革案も子どもにはNOと言いづらい。

(4)行政を動かす

  • 多くの政治家が子どもは国の宝と言いながら、この国は子どもに優しくない。こども家庭庁ができた今、一つのチャンス訪れ。
  • ①たらい回しの縦割り行政:子どもの問題に対応する窓口は、児童相談所、家庭児童相談室、子ども課、民生委員・児童委員、学校、警察、病院など。
  • 一つの家庭にワンストップで対応できる部署があれば良いが、子どもに優しくない我が国の行政にはそんな発想はない。
  • 学校が安易に家庭内の支援(朝ご飯としておにぎりを与える)をすることで、行政の改善のチャンスを失う。
  • ②:こども家庭庁の設立がチャンス:今、家庭の教育力が低下し、不安定な子どもが増え、学校の負担が高まっている現状を考えると、家庭を支援するこども家庭センターに十分に力を発揮してもらいたい。
  • 子育て支援センターは全市区町村の9割を超す市区町村で設置済みだが、子ども支援拠点は4割弱にとどまる。設置が努力義務のため。
  • 子どもに優しくない国からの脱却は、まさに子どもたちの幸せに直結する。

3.子どもたちの学びの質を変える

  • ここまでダイレクトに教員の時間外在校等時間を縮減する方法を述べた。次は、学校が抱える潜在的な問題「地域のすべての子どもたちを半強制的に集めて勉強をさせる」という学校の建てつけにどう対応していくかについて述べる。
  • 教員は子どもに対する強制力がない中でつつがなく教育活動を進めるために、子どもとの信頼関係を中心に置きながらも「同調圧力」「ローカルルール」「評価」という圧力をかけながら子どもたちを統制してきた。

(1)豊かな学び:子どもたちをあからさまに評価しない豊かな学びの授業を増やす。

  • 余暇を楽しむような「豊かさ」が失われている。学ぶことの楽しさを最大限に引き出すこと。
  • 本物に触れる、体験してみる、考えることが楽しい、やってみることが楽しい、わかること、できるようになること、で自分の可能性が拡がっていく実感が持てる。

(2)ランク付けをやめる:テストを減らし、長期的にはやめるか最小限にする。通知表は年1回、内容は指導要録と同じにする、または廃止する。

豊かな学びとセットでランク付けしないこと。デンマークでは中2になるまでテストはない。9割以上の子どもがテストでやる気をなくす、自尊心を傷つけられる。

  • テストで評価できるのは知識・技能のみ。子どもたちのノートや作品などの成果物で提示可能。
  • 作品の掲示は「貼りたい子だけが貼りたい場所に貼る」「運動会は出たい種目に出る」など選択肢を。子どもの側に立って考える。

(3)受験勉強は家庭学習に:家庭学習への学校の関与を減らし、各家庭でタブレット等を使った暗記・技能学習を学力向上対策・受験対策として行う。

(4)軸足は「自由」:①精神は自由、学習成果は平等。今の日本は「精神は平等、経済は自由」の構図。誰もが幸せになれる社会を目指すなら「精神は自由、経済は平等」へのシフト必要。学校教育に置き換えると精神に当たる部分は、学校生活の過ごし方や学習への取り組み方。経済に当たる部分は、学習の成果。

  • ②学習成果の平等を目指す:2006年PISAで学力世界一とされたフィンランドへ当時視察。見た光景は、授業中に立ち歩き、水を飲みに行く子供、机の下に潜り込んで勉強しない子、それぞれが自分のペースで学習。この時間に習得できなかったとしても、最低限習得すべき内容は補習を行ってもクリアさせる。落ちこぼれを作らないという信念が徹底されている。テストなく、勉強嫌いの子どもも少ない。この姿は「精神は自由、学習成果は平等」。
  • 教員のゆとりを生み出し、そのゆとりを学習の成果が十分でない子に注ぎ、平等を目指す。徹底したフォローこそが、子どもたちを自己責任と見捨てることなく、学習成果の格差を最小限にする、これからの適正解と考える。
  • ③学問の自由を保障する:日本国憲法が保障する学問の自由に則ること。学ぶということは個人の自由意志、子どもたちにはっきり伝えること。これまで大人が勉強をさせていたものを「子どもが勉強するという選択をした」という建てつけに変える。
  • 子どもを信頼して、学習や生活の手綱を子どもに渡す。子どもたちは、大人が考えているより自分で判断する力があると思う。

(5)子どもの問題行動や不適応に向き合う:家庭での支援が必要な子どもたちを積極的に発見し、行政の福祉部門等につなぐ。

  • ①まず子どもを主体者に:子どもたちを統制するローカルルールは廃止し、子どもたちが自分たちに必要な最低限のルールを作る。
  • ②子どもの権利条例:自分たちでルールを作り、学校や行政にも要求を上げていく主体者に。様々なトラブルは「先生が解決してくれる」のではなく「自分たちが解決する」ことになる。こども基本法の制定は、重要なターニングポイントになり得る。
  • ③問題行動は「悪」ではない:問題行動の多い子に対して時には腫れ物に触るように接し、担任は日々、今日は何も起こりませんようにと祈りながら出勤する。1年が終わるとバトンを次の担任に渡す。そうやって卒業を待つのがありがちな生徒指導の現実。
  • 学校の問題、教員の問題、保護者の問題、専門機関の問題、それぞれあるため、学校だけでは根本解決難しい。
  • ④学校、子ども、保護者で共有するルールづくり
  • 1発達段階に合わせた線引きと応急処置:子どもたちにも責任持たせる。これはいけないという線引きと応急処置で対応。応急処置とは、別室でリモートなどの再発防止の一次対応のこと。これまでの叱責は自尊心傷つけ、なぜ自分ばかりという被害者意識。どうしたの?という子どもの側に立ったアプローチで対立関係を生み出しにくく。
  • 小中高と発達につれて高い責任を負わせる。中高生であれば、いじめや暴力で誰かを傷つけた場合は警察に相談するなど。
  • 線引きと応急処置のルールは、学校、保護者、子どもたちの三者で作る。保護者には教育基本法上の第一義的責任、民法上の監督義務があることを確認し主体者意識を喚起したい。
  • 2応急処置(一次対応)と支援(二次対応):線を越えてしまった際の一次対応は、二次対応としての支援を行うスタート。三者で作るルールの中には、線引き、応急処置、支援の3つをセットにする。外部機関への相談に後ろ向きな人もいるため、これをルールの中に入れてしまう。
  • これまで、場当たり的に教員が個々の判断で対応してきたが、叱る・諭すなどは非常に高度なスキル必要、うまくできないと保護者の不満蓄積、結果教員も疲弊。
  • 労働人口不足の中でスーパー教員だけを揃えて学校運営するのは不可能。逆にスーパー教員でない普通の先生が活躍できてこそ、持続可能な学校教育が実現する。そこで提案するのが先生2.0である。

 

4.仕事の「質」を変える

ここまでは教員の業務「量」をどのように減らすか述べた。同時に仕事の「質」も変えていかなければならない。

(1)準備時間と共有

  • ①「泥縄授業」からの脱出:残業増える原因の一つが教材研究。単元ごとに行うのは一時的に時間かかるが、全体通しては無駄が生まれず効率良い。その逆で、毎時間の授業準備を前日にするのが泥縄授業。
  • 教員が説明して板書し、子どもたちがノートに写すという、典型的な一斉授業。豊かな学びとは悲しいくらいに正反対。必要なのが個別最適な学び。
  • 上智大学教授・奈須正裕氏)小学校の教師なら、すでに「個別最適な学び」を経験している。例えば図工では、最初こそ教師が題材や進め方の説明するが、子どもが作業に取り掛かってしまえば、2時間目や3時間目には一人一人の状態が全く違う。
  • 図工は自分のペースですすめる。その中で小さな自己決定繰り返す学習は、ただ聞くだけの学習よりも、主体性を育むし、内容の理解も進む。
  • 教員の仕事の質を2.0にアップデートするためには、「準備時間の確保」が欠かせないが、それは「泥縄授業からの脱出」という意識改革と同時に行われなければならない。
  • ②教材の共有:誰かが作った個別最適な学びのプログラムは、他の教室でも展開がしやすい。
  • 準備した教材をすべて市教委の共有フォルダに入れて、市内の小学5年生社会科の担当者が誰でも使えるようにした。
  • 「個別最適な学び」の授業開発と教材の共有化は、学校の働き方改革と子どもの幸せを両立させる可能性があるということ。
  • そのために必要なのは?最初に戻って「準備時間の確保」。教育委員会や管理職が意識的にこれを進めることで学校の働き方改革が前進する。教員にも子どもたちにもメリットが大きい好手。

(2)脱・スーパー教員

  • ①得意をもった平凡教員:スーパー教員の逆。これまで教員1人に1つの教室を割り振り業務をまんべんなくやらせる。それを高いレベルで達成するのがスーパー教員。
  • ②クラス担任制からチーム担任制へ:授業が得意な教員は授業を多く受け持ち、事務が得意な先生は事務を請け負うというような横断的な業務の割り当てを進めていけば、スーパー教員である必要はなくなる。
  • ③教員の多様性を活かす:3クラスを3人がもつ、という体制。子どもにすれば3人の担任がいる。子どもと同様に教員の個性も認めていく。私の考える多様性はここにある。先生が得意を前面に出せる環境の方が、子どもたちにとってもっとも質の高い教育を受けることができるし、教員も自信をもって指導に当たれる。
  • この運用は簡単ではないが、まずは「学級担任は決めない」「それぞれの教員の得意が前面に出せる役割分担を心がける」から始めるとよい。
  • 富山県南砺市、2020年からチーム担任制を導入、若手教員がベテラン教員から授業や学級経営をOJTで学びながら実践。
  • ④スーパー教員ヒエラルキーから適所適材へ:無言のプレッシャーや重圧も消えていく。教員に精神的なゆとりを生み出す。そのゆとりの中で、さらに自分の得意を伸ばしていけばいい。
  • ⑤多様性を尊重する職員室:情熱的であっても冷静であっても、子どもを支援し、成長させられればそれでいい。「だから自分はよい教員」と思うのは避けて。

(3)学校2.0、先生2.0にアップデートする

  • ①学校2.0:子どもの尊厳を最も大切に。学ぶのは子どもの自由。「他者の学習の邪魔をしない」というルールだけは設ける。授業は基本的に、日常生活を豊にする学校教育法の方針に従い、テストなども最小限に。リアルな登校が苦手な子のために、メタバース登校も選択肢に。
  • 1学級は35人(40人)を最大として設定されるが、授業は2〜3クラス一斉もあり、これにより余剰人員を生み出し、授業をする教員とこどもの支援をする教員に役割を分け「教科指導と生徒指導のアクロバット」を回避する。
  • 授業の内容は、楽しい、わかりやすい、体験できる、力がつく、ことが目指され、テストや受験をゴールとしない。学校が非常にゆるやかな場に。
  • 教室や学校が子どもの居場所になる必要はないと考える。もっと自然に、楽な気持ちで学校に居られれば良い。友達がいても一人でもいい。一日にいくつかは楽しみな授業がり、夢中になれたり、自分の力を伸ばす実感がもてたりすれば十分。
  • 学力低下と学力格差の拡大が懸念されるが、全体的な学力低下はあきらめる。そもそも子どもたちは国の発展のための道具ではないし、学校は企業で役立つことを想定した人材育成をする場でもない。AIとロボットが人間の仕事を奪いつつある中で、知識・技能よりも主体的に学習に取り組む態度の方が自己実現に役立つ
  • ②聖職者から人へ:子どもと同様、人ととしての尊厳を最大に認められた存在。こどもとは対等。子どもたちから暴言や暴力を受けることがあれば、保護者に対して責任追及も辞さない。逆に教員から子どもへは、傷害罪や侮辱罪で訴えられても差し支えない。
  • 学校の法化現象によって、かつての擬似家族のようにはいられなくなってしまった。学校を社会・家庭とは別の第三の社会にするのはもう無理。学校も社会の一部にするのが最も自然で、制度にも合っている
  • ③先生2.0:教員の仕事の魅力は「子どもたちの成長を目の当たりにできる」「子どもたちの笑顔にやりがいを感じる」という表現をされるのはその通り。しかし長時間労働が常態化し、その魅力を打ち消してしまっている。まずは、業務量を減らし教員にゆとりをもたらすことが先決。
  • 次に必要なのは、息詰まる学校の中に風を通すこと。
  • 子どもたちを幸せにすること、子どもたちが将来幸せになれるようにすること、こそが教員の役割だと考える。
  • 子どもの身近な存在として、「大人になれば楽しい未来が待っている」ことを子どもたちに感じ取ってもらいたい。そのためにも教員自身が幸せに働いている姿を見せてほしい。苦しみながら働く教員ではなく。
  • 「豊かさ」とは楽しい、うれしい感性を発揮しながら自分の得意や好きを認識し、自分のことを最大限に大切にしながら社会の中で立ち位置を選んでいけるようになること。
  • 乱暴な言い方かもしれないが、幸せとは自分を知ることから始まる。しかし学校は比較の中で人を評価するので、子どもたちは相対的な自分しか知らない。
  • 本当に大切なのは、絶対値の自分。自分は何がしたいのか、どんなふうに生きたいのか、目標は何か、その答えをもてる子どもたちに育てていきたい。
  • ④研修を改革する:研修とは略語。元は研究と修養の二語を合わせたもの。修養は「学問をおさめ、徳性を養い、より高い人格形成に務めること」。
  • それをどう達成するか、それは思い切り「遊ぶ」こと。自分の趣味に十分な時間を使う。それが学問をおさめること。自分が最もやりたいこと、高い価値を感じることが絶対値の自分。自分の好きな分野で他の人と繋がることは、教員として人間としての幅を自然に広げてくれる。
  • 授業研究はもうやめてしまっても良いのではないか。難しい理論や方法論はいらない。それより圧倒的に有効なのは実践例。
  • 「先生2.0」への転換に今の若い世代の力を大いに期待。いつの時代も「今の若いモンは」というお決まりのセリフ出る。しかし、いつの時代も若いモンが新しい時代へと牽引してきたのも事実。
  • かつての先生1.0は授業中に魅力ある脱線話をする先生が多かったが、近年の先生1.9は無駄口を叩いている暇はない。しかし潤滑油のない教室はギスギスするし燃費も悪い。先生2.0にはこの悪い流れを断ち切って欲しいと思う。
  • 先生が趣味を楽しむことで、生き生きとする、教育の幅が広がる、という効果が期待できる。結果として教員志願者の増加にもつながり、教育の質の向上にもつながる好循環。
  • 何より遊びのない先生ばかりだと、教育が薄っぺらになると危惧する。これから豊かな学びを目指していくのであれば、教員自身が豊かさを持つことが必要。
  • これを読む教員のみなさんに、教科書にはない脱線話で自分を語るような「あなたにしかできない教育」をぜひ実践してほしい。

 

(終章・ぼくたちは無力じゃない)

  • 本書をここまで読んでくださった方は、間違いなく学校をもっとよくしたいと思う「同志」。今学校に必要なのは、教員がそれぞれのレベルをやみくもに上げることではなく、レベルを上げなくても自然体で働くことができる環境の構築。150%まで膨らんだ業務量を減らさなければ学校に未来はない。
  • ・教員の勤務時間より早い子どもたちの登校
  • ・教員の勤務時間後に行われる部活動
  • ・授業の準備時間を奪う数々の行事
  • ・月45時間の残業がある状態でも粛々と行われる研修
  • ・残業手当が支払われることもなく求められる土日の地域行事への引率
  • 少し考えればこれらの運営がまったくの非常識であることは明らか。同時に、この非常識な運営にNOと声を上げることが職員室という空間では非常に難しいことも誰もが痛感するところ。しかし、この壁を乗り越えなければ学校の改革は始まらない。そして学校を変えられるのはぼくら教員しかいないのである。教育のラストワンマイルは常にぼくら教員の手の中にある。