まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「ペアレントクラシー」志水宏吉

どんな本

親ガチャ社会の現状とは。新自由主義が浸透する現場で苦しみ、抗いながらも格差是正と公正を望み、探り、求める人々の声を通し、わが国の教育のあり方を問う意欲作。

 

感想

本書を個人的に2022年度ベストな一冊に選びたい。3人の子育てをする自分にとってリアルすぎる内容。日本の教育はこれで良いのか?公教育を問い直したい強い思いが心にともった。次年度のPTA活動のテーマとしたい。

 

表紙

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目次

  • プロローグ
  • アレントクラシー化する社会
  • 追い詰められる子どもたち
  • 不安のなかの親
  • 戸惑う教師たち
  • 四面楚歌のなかの教育行政
  • 脱ペアレントクラシーへの道
  • エピローグ
  • あとがき

 

要約・メモ

(プロローグ)

  • 中学2年生の野球少年ケンタ。チームで結果を出し、野球部特待生として名門校に入ることがお母さんとの夢。
  • 高層マンション住み、東大卒の父、音大留学の母を持つリオ。私学寮生活で受験勉強真っ最中。
  • この2人が生まれたのは2008年1月27日。この日は大阪維新の会橋本徹氏が大阪府知事選に勝利した日。橋本市の政治手法は「新自由主義」を地で行くもの。
  • 2人が生まれ育ったこの時代は、家庭が所有する富と、親が子供に対して持つ願望が、子供の人生行路に極めて大きな影響力を及ぼす「ペアレントクラシー」の時代とよべるもの。
  • 彼らの接点は皆無ではないが、将来にわたってほとんど接触する事は無いように思われる。

(第1章)

  • デモクラシーは民衆による支配、アリストクラシーは貴族による支配、ペアレントクラシーは親による支配、すなわち親の影響力が極めて強い社会と言うこと。
  • イギリスの教育社会学者・フィリップブラウンが1990年に提唱、イギリスのサッチャー首相による戦後最大の教育改革をリードした教育理念、引き起こされた世の中の変化を形容。
  • 明治維新以降、アリストクラシーからの転換。メリトクラシーは業績主義。メリトクラシーの究極形がペアレントクラシー。
  • どのように顕在化しているか:①二世化、②サラブレッド化、③格差化。
  • 多様な選択肢が絵に書いた餅になりかねない。多様な教育システムを選べるのは裕福な一部の人たちだけ。
  • 新自由主義的教育政策とペアレントクラシーは共依存関係。お互いの循環構造化、相互に強化。

(第2章)

  • 現在の日本において、子供たちが生まれ育つ家庭環境は格差が広がり、二極化。子どもたちに極めて大きな影響を与え、社会的な格差・不平等の拡大再生産をもたらしつつある。
  • アレントクラシーの気流の外にいる子ども、最前線にいる子ども。
  • ①順調型A君、②順調型Bさん、③葛藤型C君、④葛藤型Dさん、⑤ユニーク事例E君、⑥ユニーク事例Fさん
  • G君、「保護者による選択の押し付けは小中学生の視野の狭い自分には必要だった。」親の富+親の願望というペアレントクラシーの公式を地でいくような捉え方。
  • Hさん、「教育過程でなじむことが出来ない場合の他の選択肢を提示できるのは親だけ、それは重視されるべき。」ほぼ無条件に親の選択をポジティブに評価。
  • Iさん、「縛られているとは感じず、自分の意思で様々取り組んでいると自覚しているが、実質的にはコントロールされた教育を受けている、と言う状況が親子にとって1番良いのでは。」この技術を身に付けることが必要と指摘している。
  • Jさん、ペアレントクラシーの問題点を的確に表現。親が用意した環境により「勉強するのは当たり前」という植え付け。親が重視するのは学力のみ、親の意識の高さ低さが教育姿勢の違いを生み出す。
  • Kさん、「私学校に通っていた生徒が日本のリーダーとなり公立の実態を知らないまま日本を指揮し、ペアレントクラシーがいっそう進んでいくのでは」背景には社会的な秩序や格差があり、ペアレントクラシーのメカニズムを通じて、それは拡大再生産されていく。
  • Lさん、「子供のためと銘打った親の自己満足になる危険性をはらんでいる」逆学歴コンプレックスと言う印象深い表現。自分では魅力を感じないのに、親や周囲や大手企業に入ることを望んでいるため板挟み状態。
  • Mさん、プレッシャーに耐えきれずドロップアウト。そのしわ寄せが子供に来てしまうから疑義がある。
  • Nさん、「家庭環境の問題が家の中に閉じ込められて、その中で育ったものはそれを当たり前と思って生きる。アレントクラシーの結果として生まれる格差はペアレントクラシーが原因の問題として顕在化しにくい。社会の基盤を作り人々は苦労したことがないため気づかれずその実態が継続。」
  • 追い詰められる子供たち:①誰が追い詰めるのか、②本当に追い詰められているのか。
  • ①社会的に言うなら追い詰めるものは、学校システムや社会全体のあり方と言うことになる、しかし一人ひとりの子供を具体的に追い詰めるのは、その子たちの家庭環境と言うことになる。
  • ②虐待や受験戦争のただ中にいる子供たちは、肉体的精神的に追い詰められている状態に間違いない。しかしそれを冷静に現実を受け止め、それに対して出来る限り主体的に対応している。つまりただの受動的存在ではないと言うこと。

(第3章)

  • 分化する親のスタンス:①教育を操る人、②教育を選ぶ人、③教育を受ける人、④教育を受けられない人
  • ①はグローバルエリート層、②はいわゆる教育に熱心な人々、③は最多マジョリティ・地元を選択、④は学校システムにメリットを十分に享受できない人々。
  • ブルデューパスロン)「教育戦略」どのような方針の子育て、住居環境、教育機関、学校選び。
  • 大学教育の費用負担を社会にすべきだと考えるのは少数派、個人や家族が負担すべきと考える人が8割を占める。
  • この日本の常識は、アメリカやヨーロッパのそれとは大きく異なる。そもそも教育には、公共財としての側面(みんなにとっての有用性)と私的財としての側面(個人にとっての有用性)とがあるが、日本の場合は後者が強調されがちである。現代日本においてペアレントクラシーが特に進行しやすい素地がここにある。
  • 日本での子育て研究:(広田照幸氏)1990年、「教育する家族」という概念。
  • 高度経済成長期の共同体の解体と継承の終焉が、家族にとっての教育の意味を決定的に変え、親が子供のしつけと教育に全面的に責任を持つようになるのであるとする。「家庭の教育力の低下」の指摘とは正反対に、親は以前よりも熱心に貴子の教育に取り組むようになっていると主張
  • (本田氏2008年)子育てに脅迫される母親たちの姿を、丹念に調査研究。きっちりした子育てとのびのびした子育て。
  • 子育て教育において親は不安になる。こうすれば良いと言う確たるものがない。昔はそれを社会や専攻する世代が与えた、今日、この形は崩れてしまい、自分の中に確固たるポリシーがある人は別だが、それを持たない人は毎日が不安の連続であり、様々な情報源に当たって(ネットやママ友)その時々で最適と思われる選択肢を取るしかない。

(第4章)

  • 1970年代から80年代にかけて、日本の高度経済成長を支えたのが平等主義的な教育システム。それにより勤勉で実直な国民の力、日本の国力が飛躍的にアップした。子供たちの全人格的な成長を導き、教師やそれに向けて子供たちを抱え込むように職務に励んだ。
  • 潮目が変わったのは1990年代に入ってから。
  • 子供の変化は生まれ育つ環境、社会の変化によってもたらされる。新自由主義的な教育改革の趨勢、それによる学校の風土や文化の変化に導かれた。
  • 親と子と教師の三角関係。逆三角形から正三角形へ。親と教師がへスクラムを組んで子を引っ張り上げる、その形は崩れ去り、親子連合が教師を品さだめ
  • 保護者対応に苦しめられる教師。学校の2極化(学力格差)。学校選択制によるもの。
  • 教師受難の時代。新自由主義は外的報酬によって教師の動機付けを図ろうとするが、それは間違っている。重要なのは「子供が成長した」と言う実感によってもたらされる達成感、同僚教師との共同作業によってことを成し遂げたときの充実感といった内的報酬の方である。

(第5章)

  • 教育行政、国レベルでは文部科学省、地方レベルでは都道府県教育委員会・市町村教育委員会
  • 1990年代以降、文科省教育委員会と学校・教師との敵対関係が薄まっていくのと同じく、新自由主義的な政策動向が強まり、政治主導の教育改革路線へ
  • かつては組合という共通の敵がいたが、今日ではその敵の力は弱まったもののあちこちに敵がいる状態。敵とは政治家であり周囲の省庁や部局、市民・保護者であり、マスコミ、学校・教師である。
  • 公正と卓越性、格差是正、水準向上。新自由主義は卓越性を過度に重視、公正の方はほとんど顧みない。 
  • 2016年に成立した「教育機会確保法」。すべての人が義務教育段階の普通の教育を受けられる機会を得ることを目的。(不登校児や外国人)
  • マイノリティーの視点から、公教育システムの整備拡充を求める異例なもの。

(第6章)

  • 純粋なペアレントクラシー社会への道を直線的に行かないために、私たちは何ができるか。
  • 学生たちが考える克服策:①しんどい層を経済的に支える、②しんどい層を文化的・社会関係的に支える、③親の影響力を相対化する、④学校教育の中身を問いなおす、⑤社会の意識・価値観を変える。
  • 家庭環境の格差化のプロセス、最初にあった家庭環境の格差が拡大再生産していくことになる。
  • プロセスA、問題はできない層をいかに下支えするか。彼らが生きていく上で必要となる知識や技能、価値観や態度といったものを着実に獲得、形成できているかどうかが重要。これこそが公正原理を重んじる公教育の第一の使命。
  • (Pブルデュー)家庭環境を、保護者が所有する経済資本、文化資本社会関係資本と言う三者で捉えようとする味方。
  • しんどい子供たちがそれらを充実させることが必要だと言う主張。それが彼らのエンパワメントにつながり、学力向上をもたらすと考える。
  • プロセスB、日本では学力と学歴の相関関係がひときわ強い。得た学力によってどのような人生ると定まる度合いがとても高い社会。
  • プロセスC、ペアレントクラシーの本丸。「子供に幸せな生活を送って欲しい」と言う親の願い。子の不幸を望む親はいない。問題は何を幸せと考えるか、その幸せはどうすれば手に入るか。
  • 「経済的に安定した暮らし」が幸せのベースになると考えられる。その暮らしは良い大学に入ることと人々に信じられている。高学歴の人々は、豊かな暮らしをしている。自分に続く世代の者たちにもできるだけ高い学歴をつけてやりたいと考える。それがペアレントクラシーの原動力となる。高学歴の人とそうでない人との戦いは、ハンディキャップレースの様相を呈する。
  • 理念としてのペアレントクラシー、この流れに逆行する事はもはや困難。ただ、公教育と塾や習い事を中心とする私教育との境目が鮮明となり、公教育の意義がぼやけ始めると言う弊害が生じている。つまり多様性や選択の自由の尊重といった考え方が、恵まれた層の私的欲求追求をオブラートに包むレトリックになっているのではないか。得をする人と損をする人に分化し傾向が強まっている。
  • 現在の日本は、個人の能力と努力が高く評価される社会。しかし家庭環境によって大きく左右され、親の富と願望とが幅を効かせる。能力のない、努力をしないとみなされる人々は、低く評価され置き去りにされてしまうのが現実。その現実は是正されなければならない。
  • 学校はそもそもできないことをできるようにする場として成立した。しかしそれだけではない、学校は学習の場であるのと同時に生活の場でもある。生活の波には様々な人が存在しており、できるできないにかかわらずその場の一員であることが尊重されなければならない。
  • 教室と言う場で言えば、障害のある子も外国人も家が貧しい子も勉強がわからない子も、確かな居場所を持ち、何らかの出番が与えられなくてはならない。誰1人欠いてもこのクラスではないと言うセンスを、子供たちに身に付けてほしい。それが現代の公教育の重要な役割の1つ。

 

(筆者の提案2つ)

  • 教育を評価する際には、卓越性と公正の両面のうち、まずは公正の原理が尊重されなければならない。その上で卓越性が追求されるべき。どの子も尊重される教育風土の中でこそ、子供たちは自らの力を十二分に伸ばすことができる。
  • 卓越性の多元化が必要、勉強ができることの他にもたくさんの卓越性があり得る。子供たちの個性や多様性が輝くような教育を生み出したい。
  • 幸せとは好きな人と好きなことができること、と考える。ペアレントクラシー社会で、子供の幸せはあるのか、肝心なのは良い学校や質の高い教育の中身。学校と言う場は、子供たちが好きな人や好きなことを見つける上で必要な資質や態度を多面的に身に付ける場所。
  • 今求められているのは、公教育の公の部分の復権、とりわけ公立小学校の頑張りが期待される。社会をリードする立場につく可能性が高い彼ら(恵まれた層の子供)には、公正の原理を体得させることが不可欠。
  • 次世代の子供たちすべてに、公正原理の重要性を伝えていくこと。普段の学校生活における人間的な関わりの中で、彼らが身をもって公正が何たるかを経験する機会を保障すること。脱ペアレントクラシーへの道はそこにこそある。