まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「ぼくは勉強ができない」

どんな本

ぼくは確かに成績が悪いよ。でも、勉強よりも素敵で大切なことがいっぱいあると思うんだ。17歳の時田秀美くんは、サッカー好きの高校生。勉強はできないが、女性にはよくもてる。ショット・バーで働く年上の桃子さんと熱愛中だ。母親と祖父は秀美に理解があるけれど、学校はどこか居心地が悪いのだ。この窮屈さはいったい何なんだ!凛々しい秀美が活躍する元気溌剌な高校生小説。

 

感想

思春期の高校生男子を女性が描くと、こうも魅力的で文学的で詩的な作品になるのだなと感動すら覚える一作。いや著者山田氏だからこそなし得る技なのであろうか。読後の満足感たるや半端なし。興味本位で手に取ってみたが大人でも十分楽しめる傑作。母・仁子の育て方がまた素晴らしい。イケてる男はこうして作られるのだ。ぼくは勉強ができないのだ。

 

表紙

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要約・メモ

ぼくは勉強ができない

  • ぼくは隣のクラスに入って行き、幼馴染の真理を捜した。彼女とは中学時代からの腐れ縁だ。そのあばずれぶりがぼくの好感を呼んでいる。
  • 「私、勉強しか取り得のない男の人って、やっぱ苦手みたい。つまんないんだもん」こんなにも呆気なく自分を否定されたら、どういう気分だろう。しかもこんなに軽い言葉で。その上に、どのような讃辞を付け加えても補うことは不可能である。なんと可哀そうな脇山。ははは、真理、良くやった。

 

あなたの高尚な悩み

  • 高尚な悩みにうつつを抜かしている奴がいる。ぼくと同じサッカー部の植草だ。普通、運動部に入っているなどと言うと、人々は、運動神経しか取り得のない明るい青年や女の子にもてたいだけの尻軽な遊び人、あるいは、何もすることのない暇な劣等生を思い描きがちだが、ぼくたちの高校はそうじゃない。
  • 「時田くん、あなたって、人間出来てるよね。私、なんか羨ましい」ぼくは、思わず、チーズを喉に詰まらせた。人間が出来てるだって⁉︎

 

雑音の順位

  • ぼくは、電話もせずに、桃子さんのアパートを訪れた。夜中に急に彼女うを見たい衝動に駆られたのだ。夏の終わる気配を夜の空気に感じて、それを彼女に告げたくなったのだ。季節は、いつも暦を裏切り、名残りの尻尾を落として行く。空気は秋でも、影は夏、そういうことに気付くと、ぼくは桃子さんに伝えたくてたまらなくなるのだ。夏の影法師を踏むような足取りで、ぼくは月夜の晩に、彼女の部屋をノックしに行ったのだった。
  • ドアの隙間からは、明らかに人の気配が洩れていた。にもかかわらず、ぼくのノックには返事がなかった。ぼくは握り拳が腫れる程、力任せにドアを叩き続けた。
  • ぼくは、ひとりになり、ぼんやりと考えた。夜の公園には、ぼくだけしかいなかった。ふと気がついて、黒川礼子から借りた文庫本をポケットから取り出した。ぱらぱらとめくると、そこには、いくつもの恋の詩が並んでいた。なぜかページの余白が目に染みた。ぼくは書物の効用というのを思った。

 

健全な精神

  • 確かにいつも、誰かひとりは彼女を見ている。女を良く知らない男子高校生にとって、彼女のような女の子は、一番身近な性的対象になる。ぼくは、昔から親しいというだけで、そいつらから、羨望を浴びているのだ。まったく、ぼくは、真理に特別な感情なんて、まるで持てない。それは、誰もが魅力的な大人の女だと称賛するぼくの母親を見て溜息をつく時の気分と同じ質の思いを真理に対して抱いているからだ。
  • 「甘皮を押すのよ。秀実、もっとやらしい男になんなよ。まだ子供だから無理かもしれないけどさ。あんた、いい人だけど、あんまり色気ないよ」
  • 肉体の健康さは、はっきりと説明できるが、それに宿る健康な心というのが良く解らない。教師の言う言葉によると、健康な奴は、皆良い人になってしまう。それでは、病気を持っている人に気の毒ではないか。

 

○をつけよ

  • 「セックスすると、成績が下がるって証拠でもあるんですか?」「ふざけるな‼︎」
  • これから、僕の前に何が立ちはだかるかは、まったく予測がつかない。佐藤先生の生徒指導のために落ち込んでいる訳には行かないのだ。ぼくはぼくなりの価値判断の基準を作っていかなくてはならない。忙しいのだ。なんと言ってもその基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは決してしたくないのだから。ぼくは自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくはゆっくりと選び取って行くのだ。

 

時差ぼけ回復

  • 片山のように自覚しなくても、人は誰でも、気づかないところで時差を引きずっているのかもしれない。人は遅かれ早かれ、誰でも死に至るのだ。片山はここで寝ることすら出来ずに、早目に一生分の時差を清算したかったのかもしれない。彼の自殺が、幸福だったのか、不幸だったのかを他人が言い当てることなど出来ない。
  • 考えることを考える、と片山は行った。彼はやり切れなかったのかもしれない。けれども、それを彼にさせていたのは、彼自身だ。

 

賢者の皮むき(山野舞子への川久保の告白)

  • ぼくは媚や作為が嫌いだ。そのことは事実だ。しかし、それを遠ざけようとするあまりに、それをおびき寄せていたのではないだろうか。人に対する媚ではなく、自分自身に対する媚を。
  • ぼくは、何故か、その時、皮むき器のことを思い出した。あれで野菜を削った時のように、ぼくのおかしな自意識も削り取ることが出来れば良かったのに。そうすれば、ぼくの見せかけと中味が一致する日がきっと来る。

 

ぼくは勉強ができる

  • ぼくは、久しぶりにグラウンドを駆け巡った。マネージャーの女の子たちが、嬉しそうに叫んでいた。ここには心地良いものが確かに存在している、とぼくは思った。死に至る孤独も、とらえどころのないダンディズムも姿を現わさない。ユニフォームは相変わらず、体に吸い付き、気持ち良い。それなのに、ぼくは、それらをやがて失う。ぼくは、ここで、確かに勉強をしちえた、と今になって思う。ここを離れることになって初めて、そのことに気付く。永遠に、グラウンドを走っていたのでは解らなかったであろう何かを、ぼくは確実に、体の内に残しつつある。汗が目に入って痛い。しかし、それが痛みだけではないことを、今ぼくは走りながら悟って行く。
  • 「ぼくは、大学に行きますよ」

 

番外編・眠れる分度器

  • 舌に残る血の味を何度も反芻していた。味のある血。この言葉を、もしかしたら、自分は、生涯、忘れることはないのではないか。そんな予感が胸をかすめた。吐き気は、もう、とうに治っていた。それどころか、喉に移行する不思議な暖かさを、いとおしくさえ思っていた。
  • 愛情という言葉を彼は、まだ知らなかったが、安心して自分自身を憎めると思えるのは、常に両親が見守る範囲内で行動するからであると気づいていた。
  • 教室を見渡した。秀美は、自分の肩の上に載っていた重苦しいものが急速に取り除かれて行くのを感じていた。誰も、秀美を見ていなかった。けれども、誰も、かれを無視していなかったのである。子供達は、秀美の知らないところで、彼の受け入れ態勢を整え、今日の朝を迎えたのだった。
  • 彼は、人々が自分に対して悪意を持たないことの幸福感を味わっていた。不当な敵意を拒否して来たこの少年は、ようやく自分の望む場所を教室の中に得たのだった。彼は、自然に振る舞うことを覚えた。それが、震える手による書き取りであってもである。
  • 「おまえはいつも、そうやって皆の勉強を邪魔するんだなあ」「そうかも」子供たちは、こらえ切れずに一斉に吹き出した。彼らは、こうした授業の中断に飢えていたのだった。大喜びだった。この転校生が、この教室に来たのは、運が良かった。そんなふうに思って、笑い続けていた。子供たちは、いつも、便乗出来る何かを待っていた。
  • 「私は、秀美を、素敵な男性に育てたい。大人の女の立場から言わせてもらうと、社会から外れないように怯えて、自分自身の価値をそこにゆだねてる男って、ちっとも魅力ないわ。そそられないわ。私は秀実を不良少年にしたいとは思わない。だってださいもん。でもね、自分は自分で在るってことをわかっている人間にしたいの。人と同じ部分も、違う部分も素直に認めるような人になってもらいたい。確かに、あの子は、まだ子供。でも何かが起こった時に、それを疑問に思う気持ちを忘れて欲しくないのよ」

 

あとがき

  • 主人公の時田秀実は高校生だが、私はむしろ、この本を大人の方に読んでいただきたいと思う。私は同時代生という言葉を信じていないから。時代の真っ只中にいる者に、その時代を読み取ることは難しい。叙情は常に遅れて来た客観視の中に存在するし、自分の内なる倫理は過去の積木の隙間に潜むものではないだろうか。
  • 進歩のない自分に驚くとともに、人には決して進歩しない領域があるものだと改めて思ったりする。この本で、決して進歩しない、進歩しなくても良い領域を書きたかったのだと思う。大人になるとは、進歩することよりも、むしろ進歩させるべきでない領域を知ることだ。