どんな本
教養にして実用。組織改革の失敗、自殺、戦争、すでに答えは出ていた。MウェーバーからEHカーまで、現代の問題を解決しうる名著の知恵。
感想
社会科学とは何か、著者の「世間の難しさを解明するために社会科学がある」という言葉が言い得て妙。全体的に非常に難解で、メモ量も膨大に。しかし何度も見返して理解を深めていきたい。社会科学の中にこそ、我々人間の幸福や未来への明るい道筋があると信じて。特にロシアのウクライナ侵攻など、戦争についての記述は非常に有益であった。
表紙
要約・メモ
(第1章・なぜ組織改革は失敗するのか)
- ウェーバーの官僚制の分析は、現代でも十分通用。むしろ今もなお支配されている。
- 官僚制は行政組織のみならず企業組織にも当てはまる。
- 近代資本主義社会を支配する原理の総称を「官僚制的支配」と呼ぶ。
- ①没主観性:誰かれの区別をせず、客観的基準により事務処理をすること。形式的な公平性。
- ②計算可能性:数値化や見える化のこと。結果が予測できるようなルールに従い行動すること。
- 両者は効率性のための原理。しかし、官僚組織といえば無駄が多くて融通の効かない組織の代名詞。
- ウェーバーは官僚制的組織が非人間的であることも見抜いていた。
- アメリカの者科学者・ロバートマートン:ウェーバーの官僚制の分析を基礎としつつ、非効率性と非合理性を明晰化、官僚制の「逆機能」と称した。
- 規則は手段に過ぎないのに、手段が目的に変換される。目的置換と呼んだ。
- 困っている国民を助けるという目的より、提出期限という手段を優先させる。融通の効かなさが目的置換。
- マートンは、官僚制の非人間性も、逆機能の一つに数えた。
- 官僚制の非効率性や非合理性は、元はと言えば没主観性や計算可能性など効率化と合理化の徹底が生んだ結果。
- 非効率性を是正しようと組織を改革しようとする。その組織改革がまたしても没主観性や計算可能性を徹底する。
- 再度、逆機能が働いて、非効率的な組織が出来上がる。ますます組織改革が必要になる。
(第2章・効率性の追求が非効率を生む)
- ジョージリッツァ「マクドナルド化する社会」:ファストフードレストランの諸原理が世界各国のますます多くの部分で優勢を占めるようになる過程。
- グローバル化とはマクドナルド化。効率性・合理性を徹底したもの。官僚制の極致を見た。
- ①効率性:従業員、消費者ともに効率的。
- ②計算可能性:分量、費用、提供する時間の速さ。
- ③予測可能性:世界中、いつどこでも一緒。意外性のなさがむしろ快適。
- ④制御:行列、メニュー、座り心地の悪い椅子、人的ミスが起こらない機械化。
- 官僚制化は社会のいたるところに。典型は工場の生産ライン。自動車のベルトコンベアによる流れ作業。
- フォーディズムはマクドナルド化の先祖。
- ディズニーランドの運営の本質は社会学的に見れば官僚制的。
- 教育もマクドナルド化。決められた教科書、知識を詰め込み、時間内に問題をとかされる。
- 大学の評価、学生の評価、評価者の主観が入る余地なく(没主観性)数値ではっきりわかる(計算可能性)。
- リッツァも、マクドナルド化は、反人間的あるいは脱人間的なシステムになる傾向にあると指摘。
- 効率性を追求した結果、非効率になる逆機能。
- ファーストフード店の従業員、やりがいを欠いた仕事に対して不満を抱きがち、高い離職率や欠勤率に。離職率が高いと採用の費用増加。結果人件費は高くなる。
- マクドナルド化とグローバル化との関係。
- 企業がグローバルに成功しようとしたら、そのビジネスをマクドナルド化する必要がある。
- しかしマクドナルド化は脱人間性を伴う。グローバル化もまた、脱人間的な現象。
- グローバル化は避けられないという言葉。ひとたび実施されると、官僚制はもっとも破壊しにくい社会組織のひとつになる。
- そして、官僚制化=グローバル化が進むと、人間性は失われていく。
- 私たちはグローバル化に対して、もっと警戒心をもつべきなのではないでしょうか。
(第3章・数値だけで測定できない価値)
- 数値による業績評価がもたらす弊害。マートンの言う「逆機能」についての研究。
- 本当のイノベーションとは、既存のものとはまったく違う新しい業績を成し遂げる。業績評価ではイノベーションを適切に評価できない。
- 官僚組織でイノベーションが起きないのはそのため。
- 世間では多くの企業経営者がイノベーションを唱えながら、成果主義だの透明化だのといった組織改革に執着。
- しかし、この二つは根本的に矛盾。数値による業績評価こそが官僚制化の本質。イノベーションは阻害される。
- 一番やってはいけないのは大学。大学こそ未知の領域を切りひらくイノベーションの場であるから。
- 日本の大学改革もグローバル化の一環。しかし、この2、30年間行われてきたことは、数値による業績評価の導入。
- 世界大学ランキングのトップクラスに入ることを目標に。
- オックスフォード大学・苅谷剛彦教授「オックスフォードからの警鐘〜グローバル化時代の大学論」より。
- THEなどの世界大学ランキングは、英語圏とりわけアメリカとイギリスの大学が上位に入りやすい。留学生を獲得する上で優位に。
- 英語圏のマーケティング戦略に日本はまんまと巻き込まれて、大学改革を始めた、という説。
- 誰も読まない論文を山ほど書く研究者。
- 自然科学では新しい研究は査読付きの学術論文により広がるが、歴史のような分野では論文よりも書籍によって広まる。
- 論文数を基準に業績が評価されると、じっくり時間をかけて良い研究をするより、数を稼ごうとし重要な研究しなくなる。
- こうして研究業績を数値で測定するようになった結果、どうでもいい論文を馬に食わせるほど発表し、くだらない研究者が大学で優遇されるように。
- 研究者をより適切に評価するには?経験豊かな研究者たちに論文や書籍を読ませ、その意見を参考にすること。
- 優れた研究者たちの主観によって判断した方が、論文数やインパクトファクターなど客観的な判断より、正確に能力を評価可能。
- イノベーションを求めているビジネスマンの多くが、自ら組織をいっそう硬直化させ、イノベーションの芽を潰している。
- この2〜30年、日本社会がこのような悪循環にはまっているのでは。こうなることは、100年以上前にMウェーバーには見えていた。
(第4章・急がば回れ)
- 政治勢力や政治信条の分け方、保守と革新、保守とリベラルなど。保守の元祖が18世紀イギリスの政治家エドマンド・バーク。
- フランス革命勃発時、それを激烈に批判。社会を合理的なものへと抜本的に造り変えようとするラディカルな運動。
- 革命や抜本的改革に反対したのは、人間の理性というものが不完全であるから。
- 人間が理性で見出した原理・原則に基づいて、社会をゼロから構築しようなどというのは傲慢極まりないこと。
- フランス革命以外にも、ロシア革命、中国の文化大革命、カンボジアのポルポト派による革命など。マルクス主義の理論は複雑な経済や社会を理解する上では、はなはだ不完全なものだった。
- 現代の日本でも同様、1990〜2000年代、構造改革という標語の下、衰退の一途を辿っただけ。
- 日本が衰退したのは、抜本的改革を怠ったからではなく、抜本的改革をやりまくったから。
- 抜本的改革はなぜ失敗するのか:社会も人間も複雑微妙だから。社会の複雑さ、人間の微妙さに耐えられない人たちが、抜本的改革をやりたくなる。
- 人間は食べ物を得る権利がある、人間は医療を受ける権利がある、など抽象的に論じて何になるのか。重要なのは、食料や医療を実際に提供すること。
- 哲学の教授連ではなく、農民や医師の手を借りた方が良いのは明らか。
-
政策の真の当否は、やってみればすぐにわかるとは限らない。うまくいく保証のない新しいシステムを導入・構築するとかいう場合は、「石橋を叩いて渡らない」を信条としなければならない。
- 政治体制を新しく構築するにあたり、物事を単純明快にすることを目指したと自慢する連中は、政治の何たるかを少しも分かっていないか、およそ怠慢。
- 社会を特定の角度からしか眺めようとしない者にとって、そんな政府のほうが魅力的に映る。
- 逆に複雑な体制は、いくつものこみあった目標を満たすよう構築され、個々の目標を達成する度合いにおいては劣る。
- だが社会が複雑なものである以上、多くの目標が不完全に、かつ途切れ途切れに達成されるほうがマシ。
- 日本の政治が悪いのは、誰々が利権を守るために改革を阻んでいるからだ、といった調子の単純で分かりやすい主張を繰り返す政治家を好む傾向。
- 二大政党制のわかりやすさ、2009年、実際に政権交代が行われ、民主党政権が誕生。しかし平成の政治は混乱し続けただけ。
- バークは前例にはない新しいことをやろうとする勢力の方がむしろ安易だと指摘。
- 前例のないことを試すのは、じつは気楽なのだ。うまくいっているかどうかを計る基準がないのだから、一度やらせてみようという雰囲気さえ作れれば、やりたい放題にやれる。
- まったく新しいことをやろうというのは、臨床試験を経ずに新薬を試すようなもの。ところが、それをやってしまったのが、政治改革であり革命。
- バーク推奨のやり方:慎重に少しずつ改善を積み重ねるというもの。その方が、抜本的改革や革命より、知恵が必要である。
- 既存の制度にある有益な要素は温存され、それらとの整合性を考慮したうえで、新たな要素が付け加えられる。ここでは大いに知恵を働かせなければならない。
- やむを得ず制度に変更を加える場合にも、できるだけ制度全体を壊さないように、慎重に修正した方が良い。
- 国家のあり方を変えてはならぬと主張しているのではない。あらゆる変更の目的は、これまで享受してきた幸福を今後も維持すること。すなわち保守に置かれるべきである。
(第5章・漸変主義こそ、実は近道)
- 目的や目標の明確化は、しばしば結果を悪化させる。
- エドマンドバークは18世紀末の政治家だが、彼の保守思想は、現代にも通用する叡智のかたまり。
- イギリス・ジョンケイが著した「想定外 なぜ物事は思わぬところでうまく行くのか?」より。
- 保守思想と似た手法を、回り道のアプローチ。対照的にラディカルなゼロベースの改革を直接的なアプローチ:目的や目標を直接的に達成する手段。それを批判。
- アメリカ国立公園の山火事の例。すべての火災を消去する手法、かえって山火事は増えた。
- 失敗から学んで次に活かす回り道のアプローチ:
- どうしてうまくいかなかったのか。森林というものが、人間の頭脳が及ばないほど複雑。「あらゆる火災を未然に防げばいい」という過信。
- 問題が複雑で、人間の理性に限界がある以上、この回り道のアプローチが有効。人間社会はもっと複雑かも知れない。
- 長い歴史をもつパリは、時間をかけて形成。複雑に入り組んだ街並みだがそれこそが魅力に。決して計画してできるものではない。長い歴史の中で人々の生活の中から生まれた。
- 社会科学者のリンドブロム、公共政策はインクリメンタリズムのアプローチに従って決定されているし、そうすべきである。
- 簡単に言うと、新しい政策を決定するには、既存の政策をベースにして、それを改善するというやり方。
- 何事も分かっていることから始める。
- 対局にあるのは、既存にとらわれないゼロベースの手法。あらゆる選択肢から理想的な政策を決定するラディカルなアプローチ。
- 現実社会について、完全に知っているわけではないならば、あらゆる可能性を検討して、最善の政策を決定することなどできるはずがない。
- はっきりしている事は、既存の政策がどのような結果をもたらしているか、ということ。
- 「インクリメンタリズム?そんな悠長なことでは何も解決しない。変化が激しい世の中では、もっとスピード感が必要だ」こんな批判が聞こえてきそう。
- ところがリンドブロムは、インクリメンタリズムの方がスピーディかつ根本的に問題を解決できると主張。
(第6章・民主政治の怖さ)
- フランス・アレクシスドトクヴィルこそ、社会科学の分野における正真正銘の天才。
- アメリカを視察し、民主政治の恐るべき本質を見抜く、アメリカの民主政治を出版。社会科学を学ぶ上での必読書。
- 専制政治になるのは、民主政治の意思決定が、基本的に多数決によるものだから。
- 多数者の専制:少数派は多数派に逆らえない。専制的な権力が多数派に与えられる。多数者とは世論。
- 世論に流されて動き出すとそれを止めるのは難しい。正しいかどうかは関係ない。
- 多数者の専制はのちに「全体主義」として知られる。ドイツのナチズムは、民主的なワイマール共和国から発生。
- 重要なのは、少数派の言論の自由を侵害しているのは、民主政治だということ。
- 炎上も多数者の専制、いくら言論の自由が保障されていても、多数派から嫌がらせを受け続ければ、精神的に参り沈黙し、実質、言論の自由を奪われる。
- アメリカ社会の同調圧力は、民主政治から発生する。意見の多様性を許さず、大勢に順応することを強いる社会。
- しばしば、同調圧力は日本社会特有のもの、アメリカ社会は多様な意見を尊重する、と信じられがち。しかし、アメリカこそ同調圧力の国。
- アメリカ社会は人種のるつぼ、るつぼとあるように、さまざまな民族の文化を溶かして、アメリカ文化という鋳型に流し込む。
- また、マクドナルドに代表される通り、徹底した標準化・画一化が図られる。
- 日本は、アメリカの民主政治を見習うほどに、社会の同調圧力が高まり、自由が損なわれていく。
(第7章・平等が進むほど全体主義化する)
- 多数者の専制、あるいは全体主義とは、民主政治の暗黒面(ダークサイド)。
- トクヴィルは民主政治に顕著な特徴として、地位の平等があると指摘。この平等こそが専制政治を招く。
- 民主的な社会では、人々の地位は平等なので、上下の階級との関係は希薄。先祖や子孫との結びつきも弱い。常に一人で考える。
- 利己主義的であることは孤独であること。平等な社会では人々は孤独になる。
- 専制政治は、人々が団結して専制君主に反抗しないよう、人々を互いに孤立させておこうとする。孤立は、専制政治にとって都合がよい。
- 不平等な貴族制の社会ではなく、平等な民主的社会の方が、専制政治と親和的。
- あらゆる中央権力は、その自然的本能に従い平等を愛し、平等を奨励し支持する。なぜなら平等は、中央権力の作用を著しく容易にし、これを拡大し、これを保証するからである。
- 平等が進むほど、中央主権化が進み、全体主義化しやすくなる。
- 平成の三十年間の改革の風潮を思い出すとよく理解できる。改革論者たちはトップダウン型の意思決定を望み、日本には独裁が必要だと口走る。
- 改革論者たちが好んで攻撃したものこそ既得権益。それを槍玉に、世論を味方につけ、権力を集中させるという手法を繰り返してきた。
- 彼らの改革に反対する人たちを「既得権益」を守ろうとする「抵抗勢力」と呼んだ。抵抗勢力こそまさに多数者の専制、全体主義に対する抵抗勢力だった。
(第8章・人々の絆が社会を豊にする)
- 全体主義化しない民主政治は可能なのか。
- 民主政治や平等には、良い面が多々あるのも事実。多数者の専制を防ぐことは可能か。
- 特に重要なのは「団体」、中間団体。政府と個人の中間にある集団や組織。
- 中間団体が機能していれば、自由と民主政治が両立する自由民主主義は可能となる。
- 人間は社交やコミュニケーションを通じて精神を発達。平等な民主社会では人間関係が希薄に。そこで、中間団体に帰属して、濃密なコミュニケーションを重ねることで精神発達を図る。
- 自立した強い個人へと成長するには:中間団体に帰属し、深い人間関係を形成し、自立した強い個人へ。(強い個人とは、いかなる団体にも属さないような人間のことではない)
- 中間団体は、政党、組合、教会、業界団体、自治組織、社交クラブなど。
- 中間団体の重要な意義を見出したことこそ、トクヴィルの社会科学上の偉大な業績。
- 標準的な経済学の市場理論は合理的なのか。
- アメリカ政治学者・パットナム、社会関係資本が高い地域では、子供はより幸福で、学校が機能していること、治安がよりよいこと、経済的にもより繁栄していることを実証。
- 経済学者が唱える市場原理、自律し利己的に活動する個人を前提に、社会全体は豊かになるはずだ。
- ところが、実際には社会関係資本、人々のつながりや絆があった方が、社会はより豊かになるという、経済学の原理とは異なる結果。
- フランシスフクヤマ、高信頼社会の方が経済的に成功し得ると主張。日本もそこに分類していた。ところが、1996年頃から日本は構造改革と称し、自国の社会関係資本を破壊して、社会のあちこちに市場原理を持ち込む改革始めた。
- それを二十年以上も続けた結果、今では無縁社会と言われるまでに。それとともに日本経済も衰退。
- 私たちはよく、日本の政治の体たらくを批判「まともな政治家がいなくなった」と嘆くが、健全な民主政治を支える社会関係資本が弱っているのだからそうなるのも当然。
- そのような社会関係資本を破壊するような改革を、多くの国民は支持してきたのではないか。
(第9章・新しい資本主義)
- 「新自由主義」とは何だったのか。岸田総理が述べた新自由主義を改めて振り返る。
- 1980年代以降、アメリカ、イギリス、日本は、自由な市場に任せれば豊かになるという信念の下、規制緩和、自由化、民営化、「小さな政府」への行政改革、グローバリゼーションを進めてきた。これらが新自由主義と呼ばれるもの。
- この新自由主義のイデオロギーは、東西冷戦が終結し、社会主義体制の盟主であった。
- ソビエト連邦が瓦解した1990年代初頭以降、いっそう影響力増した。
- 労働市場の自由化、農業の関税引き下げと競争原理の導入、金融市場の自由化など。今でもなお根強く残る。
- 自由化によってバブルとその崩壊を繰り返す金融市場。
- しかし、この新自由主義による改革開始後、3、40年たった現在、その失敗は世界的に明らか。労働市場の自由化の結果、非正規労働者が増え、賃金は上がらなくなり、所得格差は大きく拡大。
- 農業がビジネス化し、環境破壊が懸念、日本のように農業競争力が劣る国では、国内の生産は弱体化、地方で経済が衰退し、過疎化が進行。
- 金融市場においても、不安定に。バブルと崩壊の繰り返し。力を増した株主や金融機関が企業に圧力。設備投資や研究開発投資がやりにくくなり、生産能力が弱体化。
- これが、新自由主義の結末。
- 「自由主義」がもたらした悲惨な事態。自由主義は、20世紀初頭にイギリス発で世界に広まったイデオロギー。アダムスミスの国富論。見えざる手と表現、市場原理を説き、自由貿易の効用を擁護した。産業革命により経済や社会が劇的に変貌、産業資本主義が発展した時代。
- 21世紀に新自由主義がもたらした悲惨な事態とほぼ同じものが、1世紀前に(旧)自由主義によって引き起こされていた。まさに歴史は繰り返す。
- ポランニーが考えた問題の本質。自由主義はどうして失敗したか、学ぶ上での必読書。カールポランニーが1944年に著した「大転換」。
- 市場には需要と供給を自動的に調整する価格メカニズムがある。自己調整的市場の考え方。これが、産業革命によって姿を現したと述べる。
- 市場というものは古くからありふれた制度として存在。しかし、産業革命以前は、付随的なもので、市場が経済生活全体を動かすなどということはなかった。
- 自然や社会をすり潰していく「悪魔の碾(ひ)き臼」。
- 経済活動が、社会や自然環境との調和の中で行われていることを、経済活動が環境の中に「埋め込まれている」と表現。埋め込み(embeddedness)という概念は、きわめて重要。
- それが、産業革命によって一変。初期投資額の大きい機械設備による大規模な生産に。
- 原材料や労働力を絶え間なく投入し続け、生産プロセスを中断させないようにし続けなければならなくなった。そこでカネさえ出せばいつでもそれらが手に入るようなシステムが必要に。それに応じてできたのが自己調整的市場。
- 原料や人間を商品のように取引できるように。そのためには自然環境を破壊したり、労働者を人間関係や共同体から切り離しておく必要。
- こうして市場は自らを機能させるため、自然や社会環境を破壊、人間も単なる商品に。このようにすり潰していく市場メカニズムのことを、ポランニーは「悪魔の碾き臼」と呼んだ。
(第10章・新自由主義と社会防衛の原理)
- 市場に任せればすべてうまくいくというイデオロギー。
- 市場経済は、貨幣も商品にすることで、産業組織をも破壊。貨幣の価値が上昇すると物価が下落。デフレになる。
- ポランニーの画期的な分析、この市場経済の支配が拡大していく運動と同時に、その反作用として「対抗運動」が生じるという二重の運動が起きたと主張。
- 自然、人間、産業組織を守る「社会防衛の原理」。
- 市場経済がもたらす破壊的な害悪から、自然、人間そして生産組織を防衛するために、市場に介入したり、市場の機能を変えたりすること。
- 例えば、労働者を保護するための規則、社会福祉政策、あるいは労働組合の組織化。産業組織に対する社会防衛とはすなわちデフレの阻止。
- ポランニーは20世紀前半の全体主義の出現を「経済的自由主義の原理」と「社会防衛の原理」の2重の運動の産物として分析。
- 市場経済による社会の破壊があまりにも激しくなると、社会はこれに対抗して自らを防衛しようとし過剰に結束し暴走する。イタリアのファシズムやドイツのナチズムとなって現れた。
- トランプ大統領が労働者層の支持を得た理由。
- 2008年のリーマン・ショック以降、先進国ではポピュリスト勢力が台頭。2016年の大統領選挙においてドナルド・トランプが勝利。イギリスでは、EUからの離脱決定。
- 一連のポピュリズムは、ポランニーの分析通り社会防衛の原理に基づく対抗運動とみてよい。
- 新自由主義がはらむ最大の問題は、全体主義を呼び込んでしまうという点。
- 組合組織や政府による規制は、まさに市場が人間や自然を商品化するのを防ぐ社会防衛。市場原理を理想とする新自由主義者にとってはそれが邪魔。
- 新自由主義から一刻も早く脱却しなければならない最大の理由、それはこのままだと、全体主義が台頭してしまうからなのです。
(第11章・自殺はどうすれば防げるのか)
- 大変な衝撃を受けた「自殺論」。
- フランス社会学者・エミールデュルケーム、近代社会学の創始者の一人。名著「自殺論」より。
- 自殺と社会環境の変化に関係性の仮説。自殺は心理学ではなく、社会学のテーマということに。
- 自殺を禁じたキリスト教とユダヤ教。
- 宗教の違いと自殺者数との関係、家族構成と自殺者数の関係などを調査。さらに選挙や革命など政治変化と自殺者数との関係も見出した。
- 選挙や政変だけでなく、戦争もまた、自殺者数を減らした。
- カトリックとユダヤ教徒に自殺者が少ない理由。
- 人間が自殺に向かわないように引き留めているのは、宗教という「社会」だった。
- 人は、社会との絆に結ばれているから、自ら破滅に向かうことがないということ。家族と自殺の関係についても同じ。
- 個人主義者は、自殺に向かいやすい。
- 逆に言えば、共同体との固い絆、しがらみから解放された個人主義者は、自殺にむかいやすいということ。自己本位的自殺と呼んだ。
- 成年の文明人は、動物的な本能以外の、多くの観念や感情、慣行の要求に突き動かされている。それらを植え付けてきたのは社会的な環境。
- 社会とつながることで、人間はいきいきと生きられる。
- ところが社会とのつながりが失われると、生きる目的である宗教、道徳、政治もまた失われる。何のために生きているのだろう、という反省。
- 人間には、共同体との絆が必要。
- 西洋人は個が確立している、日本人には、個の確立が必要だ、などという日本人論、比較文化論が今でも根強い。しかし個の確立などは、近代西洋でも幻想に過ぎない。
- その後、日本の自殺率は、1998年以降、G7中トップ。日本は皮肉にも、欧米先進国よりも個人主義化したということに。
(第12章・突然の社会変化が自殺を増やす)
- 戦争という危機が、社会を結束させる。
- 普通に考えれば、政治的な危機が起きると、社会不安が高まり自殺者は増えそうに思える。しかし実際には減っている。
- コロナによるパンデミックの際、一回目の緊急事態宣言が発令された4月や5月は、およそ2割も減った。
- 逆に経済を回そうとした7月や10月には、自殺者数は前年同月より増えた。
- 経済的危機と自殺との因果関係。
- 一時的に、強固な社会的統合が実現したからではないか。コロナとの闘争は人々を互いに結束させ、自分自身のこと以上に、共通の事柄に関心を抱く。
- アノミー的自殺:普通は経済的な危機は多くの人々を困窮させ、経済的な困窮が人々を自殺へと駆り立てるのだと考える。しかし、これは、統計的な事実と矛盾することを指摘。
- 生活が楽でも自殺は減らないという事実。
- 経済的により貧しくなるか、より豊かになるか、に関係なく、とにかく突然の社会的な変化が起きると、自殺が増える傾向にある。
- そこそこの満足が自殺を抑制する。
- 人間の幸福や生きがいは、欲望を無限に追求することでも、何にも拘束されずに生きることでもなく、逆に、社会秩序に拘束され、社会の規律に制約されて、分をわきまえる、足るを知る、ことによって得られていたということ。
- そのように個人を規制する社会の規律や秩序がない状態こそが「アノミー」。
- 小泉構造改革で日本人は「生きる意味」を見失った。
- 自殺の研究を通じて社会というものを発見したデュルケームは、同時に人類が直面している歴史的な大問題に気づいた。
- そもそも近代資本主義社会は、産業発展や技術革新など既存の秩序を破壊しながら進歩。自由民主主義社会も、偽政者や支配的勢力が選挙で入れ替わり、既存の秩序が変わっていく。宗教の権威は薄れ、家族も核家族化が進む。そうなると生きる意味を失いがち、自殺に走りやすくなる。
- ではどうしたらよいのか。近代社会において自殺を防ぐ処方箋は。
- デュルケームの解決策の提案。個人をつなぎとめる社会集団は、宗教や家族以外にもあるのではないか。
- 職業集団や同業組合によって、個人を自殺から守ると考えた。カールポランニーが重要視したものと同じ。トクヴィルが見出した中間団体とも同じ。
- デュルケームの「職業集団」は日本的経営のこと。
- 日本的経営は、共同体的経営と言われるように、社員と会社との人間的なつながりを重視するものだった。
- しかし、1990年代以降の日本は、日本的経営の解体を進め、労働市場の流動化と称して、非正規労働者を大量増加。
- 日本の過去30年間、政治家や官僚、社会学者までもが、西洋の社会科学の伝統すら踏まえずに、デタラメな改革をやってきた。
(第13章・どうして戦争は起こるのか)
- なぜロシアは戦争を始めたのか。
- 国際政治の問題を考えるに当たり社会科学の古典「危機の二十年」が大きなヒント。イギリス外交官・歴史家のE・H・カー。
- 第一次世界大戦後、二度と大規模な戦争が起きないよう国際秩序を創り上げようとしたが、この野心的な試みは失敗に。第二次世界大戦が起こった。
- 国際政治学の背景に「ユートピアニズム」と「リアリズム」の対立する潮流。リベラリズムとリアリズムと呼ばれ現在まで続く。
- ユートピアニズムは、事実よりも目的、願望が先行する思考様式。平和な国際秩序を建設するには現実をどう改革すればよいか。
- 世論は道徳的な社会を望むというユートピアニズム。
- ユートピアニズムは人間の理性の力を信じる合理主義を基盤とする。
- 合理主義とは、人々が理性を働かせれば道徳的な社会が実現し、正しい知識を与えられれば理性を働かせ、道徳的に行動するはずだという信念のこと。
- 国際連盟の創設者たちは、合理主義の自由民主主義を信じていた。国際的ルールや原則を定めれば、各国は理性の声に従って、そのルールや原則を守るので、世界は平和になると素朴に信じ、国際連盟規約を制定した。
- 各国が自由な貿易を行えば、世界全体の経済厚生が高まるという自由貿易の理論。各国の利益は、自由貿易を通じて、世界全体の利益と調和する。
- こうして、第一次世界大戦後の国際秩序は、政治においては自由民主主義、経済においては自由放任主義というユートピアニズムに基づいて建設されようとしていた。
- しかし、それゆえに理想と現実のギャップという難題にぶつかり挫折。
- すると次の段階として、ユートピアニズムに批判的な思考様式が出現。それがリアリズム。
- 最初のリアリスト、マキアヴェッリ。
- ①歴史とは原因と結果の連鎖であり、その歴史の成り行きは、因果関係を分析することによって理解される。②理論が現実をつくるのではなく、現実が理論をつくる。③権力は道徳規範に従うのではなく、現実が理論をつくる。
- 近代のリアリズムは、思想の相対性という議論にまで突入。理論や道徳規範は、理性が発見した普遍的な原理原則ではなく、時代、環境、状況あるいは利害関係によって形成されたものに過ぎないという考え方。
- 各国の力関係や利害対立という現実を無視した国際秩序の構想がうまくいくはずがない。こうして、国際連盟は機能不全に陥り、戦間期の国際秩序は、現状に不満を抱くドイツやイタリアの挑戦により崩壊、第二次世界大戦が引き起こされた。
- リアリズムは、ユートピアニズムの偽善を暴露するという点で非常に強力な思想。
- リアリズムの限界についても、カーは見極めていた。
- 人間は、現実にはない理想や目的を掲げ、それを達成したいという願望に突き動かされて行動するという側面も否定できない。力関係や利害関係だけで行動するというわけではない。理想や願望は、人間の行動の活力の源泉。それらが政治を動かす。
- 結局のところ政治とは、理想と現実の相互作用の過程だということ。
- 政治学は理論と現実の相互依存を認識し、その認識の上に築かなければならない。しかもその相互依存は、ユートピアとリアリティの相互関連があって初めて得られるもの。
(第14章・ロシアがウクライナを侵攻したわけ)
- 現在も続くユートピアニズムからリベラリズムへの潮流。
- 現代の世界は、ユートピアニズムに基づいて平和な国際秩序を形成しようとして、かえって危機を招いてしまうという戦間期の失敗を再び繰り返した。
- リベラリズム:民主主義や貿易の自由などの普遍的な価値観を広め、国際的なルールや国際機関を通じた国際協調を推し進めれば、平和で安定した国際秩序が実現するという理論。
- リアリズム:国際秩序を成り立たせているのは、民主主義や貿易の自由といったリベラルな制度や価値観ではなく、軍事力や経済力といったパワーのバランスであるとする理論。
- 経済でも敗北したアメリカのリベラリズム。
- 2001年にWTOに加盟した中国、急速に経済成長し、軍事費を増加させ軍事大国に。東アジアにおけるパワーバランスは完全に崩れてしまった。
- 中国から安価な製品がアメリカに流入し、アメリカの労働者の雇用が失われる事態に。
- リベラリズムによれば、自由貿易は平和をもたらすはずだったが、アメリカと中国は、自由貿易の結果、経済だけでなく軍事においても対立。
- ウクライナ侵攻は、アメリカの致命的な過ちによるもの。
- 西側諸国からすればウクライナへの善意で、ロシアの安全を脅かそうという意図はなのかもしれない。しかし、それはあくまで西側諸国のリベラリズムの価値観での見方。
- ロシアにとって、ウクライナが西側陣営に与することは、安全保障上の脅威にほかならない。だからウクライナに侵攻した。
- カーが危機の二十年で述べたように、人間は本質的に、非現実的な理想や願望に駆り立てられて動く。リベラリズムには、それが非現実的であっても、人々を動員し、政治を動かしてしまう。
- ユートピアの実現を目指して行動し、リアリティの壁にぶつかって失敗する。リベラリズムを目指した政治を行なって、リベラルではない結果を招く。
- それを繰り返すのが、国際政治というものなのかもしれない。
(第15章・軍事力、経済力、意見を支配する力)
- 政治は、ユートピアとリアリティ、あるいは道義と権力の二つから成り立っている。
- 人間には、他人と協力したり、集団全体のために善意で行動したりすることが確かにある一方で、ある程度の強制力がなければ利他的には行動しない。
- 政治は、道義と権力どちらか一方のみで語るのは間違いで、両者の相互作用として理解しなければならない。
- 戦争を引き起こす動機とは。
- 国際政治における権力には、①軍事力、②経済力、③意見を支配する力、の三つがある。最も重要なのは①軍事力。
- 戦争の多くは、戦争当事国にとっては、自国の生存を維持するための防御的あるいは予防的な自衛戦争であって、帝国主義的な野心に基づくものではない。
- 将来の戦争において、自国が不利にならないように、戦争を行う。
- しかし、自国の生存のために、将来の戦争においても不利にならないように、予防的に行う自衛戦争が、攻撃的な帝国主義へと転化していく。
- 政治と経済を切り離すことは無意味。権力の二つ目は②経済力。
- 経済は政治の一側面。政治が経済を組み込むための手段として二つを挙げる。
- 1自給自足経済、すなわち戦略的な重要物質を他国に依存しない経済を構築すること。2経済力を使って他国に影響を及ぼすこと。そのために行われるのは、資本の輸出と海外市場の支配。
- 優れて現代的な武器、プロパガンダ。③意見を支配する力は、要するに宣伝(プロパガンダ)。
- 宣伝はどうしてすぐれて現代的な武器なのか。それは政治が民主化したことで、政治の方向性を決定する人々が飛躍的に拡大したことと関係ある。
- 20世紀初頭のメディアは、出版物やラジオや映画だったが、現代ではマスメディアに加え、SNSが加わり意見を支配する力の威力は飛躍的に増大。
- 個人間と同様、国家間にも道義はある。
- カーの「危機の二十年」は1939年に書かれているが、現代においても通用する必読の古典。
(第16章・どうして臨機応変に行動できないのか)
- 読者の役に立つことを目指した「君主論」。
- フィレンツェの政治家・ニコロマキアヴェッリ、君主論で道義よりも権謀術数の政治を説いた。目的のためには手段を選ばない冷酷な姿勢をマキャヴェリズムと呼ぶくらい。近代政治学の祖とみなされている。
- ルネッサンス期の学問は、一般的な理論や抽象的な原理原則を打ち立てるものでなく、個別具体的な事例や状況を実践的に判断することを重視。
- 何よりもまず、「想像の世界」=ユートピアよりも、「具体的な真実」=リアリティを重視すべきだというリアリズム。
- 歴史と経験から学んだ集大成「君主論」。
- EHカーが明らからにしたように、リベラルな国際社会というユートピアの実現を目指そうとした政治家たちの善意の企ては、世界大戦という破滅を招いた。
- 現代においても、冷戦終結のアメリカのリベラリズムに基づく大戦略もまた失敗に終わったことを私たちは経験。
- 今日でも、人は昔は良かったと過去を美化し、現在については批判的になる傾向。どうしてそうなりがちなのか。
- 理由①歴史は、勝者によって書き残され、勝者に都合よく改ざんされるので、輝かしい事績だけが記録される。
- 理由②現在の事件に関しては、私たちは目撃者であり当事者なので、事件の悪い側面まで詳しく知ることになるが、過去の事件についてはそうではない。
- マキャヴェッリは、都市や国家が力量、必要、運命の三つを原動力にして止まることなく運動し、盛衰しているという考えに。
- 力量(ヴィルトゥ)は人間個人の政治的な能力のこと。世の中を動かすのは、実力ある政治家である。
- 運も実力のうちー力量(ヴィルトゥ)と運命(フォルトゥナ)の関係。
- ただし、政治家個人の能力が優れているだけでは十分ではない。必要(ネチェンタ)=自然環境や社会環境の制約、がなければならない。
- 国家は人間の力量と、力量に影響を及ぼす必要によって、興隆したり衰退したりしている。
- 人間は運命(フォルトゥナ)に翻弄され、運命には逆らえないが、ローマ人はその力量によって運命を手繰り寄せた。運命も実力のうち。
- 世の中には時流がある。時流を選ぶことや作ること、時流に逆らうことはできない。しかし、実力のある者は、時流の変化をつかみ、時流に乗ることは可能。
- 力量がある者が、運命を掌中にするということは、状況の変化に機敏に反応して行動を変えるということ、すなわち臨機応変。
- 政治は、刻々と変化する状況に応じて、臨機応変に対応する技術でなければならない。これがマキャヴェッリの政治哲学。
(第17章・人はどのようにして必然的に破滅するのか)
- 臨機応変に行動するのは至難の業。多くの人が臨機応変には行動できない。どうしてか。
- ①生まれ持った性格にはどうしても逆らえない。②いったんある方法を用いて上々に成功した人物に対して、今度は別の方法を採用したほうがうまくいくと信じさせるのは至難の技。
- 日本の財政政策が良い例。詳しくは中野剛志「目からウロコが落ちる奇跡の経済教室」を参照して。
- 1970年代、一般的に財政赤字が拡大するとインフレ気味に。財政健全化を目指し歳出抑制や増税し、消費や投資を鈍らせた。
- しかし1990年代半ば、バブル崩壊後の不況にもかかわらず、財政健全化を目指し同じ手段をした結果、1998年からデフレ不況に。
- インフレではなくデフレの時勢にもかかわらず、2000年代も財政健全化の旗を掲げ続け、歳出を抑制。ほとんど成長なしに。
- 2008年、リーマンショックという世界的金融危機勃発、一時的に財政出動。しかし、すぐに財政健全化に戻ってしまった。まだデフレだったにもかかわらず。
- 2011年、東日本大震災が襲い、翌年、日本政府は消費税の増税を決定。
- 2014年に消費税率を5%から8%へと引き上げ、景気回復は失敗に。
- 安倍政権は、2019年には消費税率をさらに10%に引き上げ。
- 決まった手しか打てない人は、必然的に破滅する。
- 2020年には、新型コロナウイルス感染症のパンデミック。しかし未だ財政健全化の旗は降ろさず。
- 財政健全化はデフレ圧力を発生させ、インフレを抑制する効果。インフレが懸念されていた頃には正しい政策。
- しかし、デフレであるならば、かえって悪化させるのでやってはいけない。
- インフレでは財政健全化を進め、デフレでは財政赤字を拡大する。これが臨機応変の正しい財政政策。
- 過去三十年間、政府債務の累積とほとんど反比例するかのように国債金利は下がり続けほとんど0%に。失われた三十年とも言うべき長期停滞。
- さらに防衛費をほとんど伸ばしてこなかった。対して中国は軍事費を急増。2020年には日本の5倍に。
- 東アジアにおける軍事バランスは崩れつつある。米軍が、中国軍による侵略から尖閣諸島を守ってくれるのかはなはだ怪しい。
- 安全保障は、経済よりも重要。
- 戦後の日本は一貫して経済を優先し、国防を軽視してきたが、そのツケがいよいよ回ってきそう。
- マキャヴェッリは、安全保障は経済よりも重要だと説いた。金が必要なのはもちろんだが、それは二議的なもの。本当に必要なのは、精兵自体が自ら勝利を掴み取ること。
- 衰退期に入ったローマ帝国は、自らの武力で領土を守るのをやめ、平和を金で買い取るように。戦争を回避するため、周辺国に金品を与えた。
- 目先の利益のため、国家の危機に目を背けて空想の世界へ逃避。しばらくは平穏無事かもしれないが、国家の命取りに。
- 人間は並外れて優れた偉人を模範とすべき。目標が高すぎるなどと嘆いてはいけない。むしろ実現困難な高めの目標を掲げ、それを目指せば、結果として自分の能力が高みへと引き上がるからだ。
(第18章・世の中、何が起きるか分からないから)
- 次に財政政策の有効性を明らかにした大経済学者・ジョンメイナードケインズについて学ぼう。
- 誤解に付きまとわれるケインズの偉業。
- ケインズといえば「不況の時は、政府が公共投資などを行い、雇用を生み、景気を良くすればよい」という景気対策理論というイメージ。
- 実際、この積極財政によって不況を克服するという考え方はケインズ主義と呼ばれる。
- ケインズ主義を批判する人は、しばしば「景気が悪いときは穴を掘って埋めればいいなどというのは無駄だ」という言い方。
- 市場原理に任せれば、需要と供給は自然に一致、政府は市場介入せず、民間企業の自由放任にゆだねておけばよい、という経済思想。
- どうして不況時に財政政策が必要なのか。
- 商品を作って市場に出せば、商品の価格が上下し調整され、必ず売れる。そして、労働者はその商品を作る仕事に就ける。働きたいのに働けない失業者はいなくなる。
- しかし、現実世界ではこのように需要と供給が均衡して、失業がなくなるような状態になるのを防げる障害がある。それは、貨幣の存在。
- 人々は将来に不安があると、お金を持っておこうとし、商品を買い控える。消費ではなく貯蓄をする。
- 将来何が起きるか分からないのは「不確実性が高い」こと。この不確実性こそケインズの理論の中核にある。
- 貨幣とは、将来の不確実性に対処するための手段。
- ケインズは貨幣と不確実性を結び付けて理解し、その理解の上に経済理論を構築。これがケインズ理論の本質。
- 将来に不安があるときは、雇用をつくるしかない。
- よって、不況になって失業が生じたら公共投資を行い雇用を生み出せばよいと主張。
- その理論の根本には、貨幣と不確実性への深い理解があった。
- ケインズを批判する主流派経済学者たちは、市場原理に任せていれば、需要と供給が一致するという市場均衡理論を唱えている。しかし、これは不確実性がなく、貨幣も存在しない世界でのみ成り立つ。物々交換の世界。
(第19章・いったい経済学はどうなってしまったのか?)
- リーマン・ショックを想定できなかった主流派経済学者。
- 2008年9月、巨大投資銀行リーマンブラザーズの破綻をきっかけに、1930年の世界恐慌以来の世界金融危機、リーマンショックが勃発。
- どうして主流派経済学者たちは、これを想定していなかったのか。
- 残念なことにこうした美化され消毒された経済理論により、経済学者たちはあらゆる事柄について、悪い方向に転ぶ可能性をすべて無視するようになってしまった。つまり、人間の合理性における限界が、バブルや不景気をもたらしうることや、金融機関が手に負えないほど暴走しうること、そして市場が不完全であり、経済のオペレーティングシステムに不測のクラッシュを引き起こしうることを無視してきた。
- クルーグマン「美化された消毒された経済理論」というのは、市場均衡理論のこと。
- ケインズ経済学の最重要な要諦。
- ケインズは「投機」と「企業」を区別する。投機とは、市場の心理を予測する活動。賭博のように利益だけを求めて金融資産を売り買いすること。
- 企業は、資産の全存続期間にわたる予想収益を予測する活動。設備投資や研究開発投資のこと。
- 投機はともかく企業(設備投資や研究開発投資)は、経済が発展するためには必要不可欠な経済活動。
- ここで重要なのは、将来の不確実性とケインズが言っているのは、確率によって示せるようなものではない。本当に何が起こるか分からず、それを予想するにしても、その客観的な根拠を示せないような状態。
- その中で人間はどうやって将来を予想しているのか、それは単なるその人の主観に基づいている。
- 不確かな社会で、どうやって将来に向けて投資を行うのか。
- 社会の多くの人たちの主観、一言でいえば雰囲気。
- 主観的になんとなく、現在の状況が将来にわたって安定的に続くと感じている場合に、投資を行う。その社会の雰囲気のようなもののことを、ケインズは「慣行」と呼んだ。
- この先何が起こるか分からないような不安定な時期には、長期的なリターンを目指した投資をする度胸のある経営者や投資家は少ない。
- 極端な例として、いつクーデターが起きるか分からない国で、長期投資を行おうとする人はほとんどいない。政治的に不安定な国は、経済発展できない。
- さらにケインズは、企業経営者や投資家は、長期的なリターンを確率論的に計算して投資を決断してはいないと述べる。この先起きることを確率で正確に予測できない以上、最終的な決断は、計算根拠なく行われている。
- そのような計算根拠のない思い切った決断のことを「血気(アニマルスピリット)」と呼んだ。血気とは言い換えれば単なる思い込み、「勘違い」のこと。
- 資本主義を動かすのは、人々の思い込みや勘違い。
- そう考えると、金融危機が起きる理由は、容易に理解できる。
- 社会を楽観的な雰囲気が支配すると、気が大きくなり借金しリスク大の資産購入。その価格が上がる、これがいわゆる「バブル」。
- バブルが起きれば、楽観的な気分はもっと高まり、さらに借金を増やし投資に手を出し、大きな利益を手に入れる。ますます借金を重ねバブルを膨らませる。金融市場は単なるカジノのような状態へ。
- しかし、そんなバブルもいつかは終わる。もともと根拠がないから。
- 資産価格が下落すると、今度は社会の雰囲気が悲観的になり、人々は慌てて投資を引き上げ始める。資産価格は大暴落し、借金返済できない人が続出。これがバブルの崩壊。
- 株価とは企業がもたらすであろう未来の利益の予想値。人々の未来への期待というはなはだ当てにならないもの。
- それも売買している人たちが少人数であるうちは、株価は比較的安定する。しかし、参加者が大勢になると、大衆心理によって大きく上下する。
- したがって、株式市場を安定させるには、株式市場の参加に課金し一般大衆が近づきにくくする必要がある。そこでケインズは株の取引に税を課すことを提案。
- これは非常に優れた洞察。今日でも、金融市場の安定化について議論される場合、政策提案の筆頭に、必ずと言っていいほど金融取引に対する課税が挙げられる。
- ケインズは死んだのか。
- 世界恐慌の反省もありしばらくはケインズの洞察が生かされていたが、1980年代あたりから新自由主義が台頭、ケインズは死んだなどと言われるように。
- 金融市場の規制緩和も行われ、市場に任せれば経済はうまくいくはずだ。
- しかし、ケインズが言ったように、そもそも将来は不確実。企業の将来は性格に予測できない。株価は人々の気分で左右。
- だから株価を安定的にするためには、株式市場への参加者を制限する必要があった。しかし新自由主義者たちはその逆をやってしまった。
- その結果、1980年代以降、金融市場は急発展、活況を呈するが、カジノのようなもので本当の経済発展ではない。投機であって企業ではない。
- 「投機」ばかりを助長し、「企業」を促進する政策を講じない日本政府。
- 日本は1990年代初頭のバブル崩壊で長期不況に。本来はそれを反省し、金融市場に対する規制や課税を強化すべきところだった。しかし反対に金融市場を活性化させようとし規制緩和や減税を行ってきた。
- 日本企業の株価は上昇、配当も。しかし設備投資は低調に、経済全体も低成長。
- そういう愚かな経済政策を進めている間に2008年のリーマンショック。リーマンショックは経済学の考え方を変えなければならない大きな事件であった。
- ところが、2010年代の日本は、なお株式市場を活性化する政策。2016年にはIR推進法が成立、これまで禁止されてきたカジノが解禁。
- 日本の政策担当者たちはどうして考え方を変えないのか。危機が起きても目を覚まそうとしない。これについてもケインズは答え。
- 世界を支配するものは「思想」である。人間はある特定の思想に基づいて世界を認識。それは偏見あるいは色眼鏡と言ってよい。
- 危険なものは、既得権益ではなく思想である。
- さらにケインズは「経済哲学および政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以降に新しい理論の影響を受ける人は多くなく、したがって官僚や政治家やさらには煽動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではない」と述べている。
- 1990年代に25〜30歳であった若者たちは、時代の空気を吸って成長し、新自由主義という思想に染まっていった。そして新自由主義が教えるような理想的な世の中へと日本を変えたいという志を抱き、政治家や官僚、経済学者への道へ。
- 20年後の2010年代になると、40〜50歳という働き盛りに、世の中を動かせる立場に。若い頃抱いた夢を今こそ実現する時だと奮い立ち、改革に邁進。
- だが世界は20年前とは大きく異なり、金融市場の不安定化や格差の拡大など新自由主義の弊害が顕著に。
- にもかかわらず、その現実が見えずに、新自由主義とい20年前の古い思想を今さら持ち出してしまった。
- だからケインズは危険なものは、既得権益ではなく思想である、と言った。ケインズ自身には、未来を見通す力があったのではないか。
(第20章・社会科学の古典は活きている)
- 堺屋太一の「時代の雰囲気」を摑む能力。1993年著「組織の盛衰・何が企業の命運を決めるか」より。
- 当時の日本人の間で何となく共有されてきた社会観や思想のようなものが反映されていると考える。
- ①冷戦終結という大きな時代の変化に合わせて、日本の組織も変えなければならないという問題意識。
- ②この国に組織論または組織学の体系を広めること。
- ウェーバー:堺屋より100年も前に、壮大な理論体系を構築、今日でも通用する組織研究の基礎。
- デュルケーム:自殺論や社会分業論など、組織そのものの種類や要素、機能や構造に関する体系的な理論。
- そういう社会科学の研究の蓄積を無視、知らない、組織が学問対象にはならないなどという珍説も。
- 1共同体(ゲマインシャフト)と2機能体(ゲゼルシャフト)という組織の累計区分。
- 1家族、地域社会、あるいは趣味の会など、人の世の摂理によって自然発生的なつながりで生まれ、構成員の満足追求を目的とした組織。
- 2企業、外的な目的を達成することを目的とした組織。組織内部の満足や親交は手段であり、本来の目的は利潤の追求や戦争での勝利。
- 組織をこのように区分した上で、巨大な組織がダメになる原因の一つは、機能体の共同体化にあると堺屋は主張。
- 機能体が外的な目的達成はそっちのけで構成員の幸せの追求に走り出すので、組織の機能は急速に低下していく。
- バブル崩壊後の不景気により、日本の共同体的な組織を改革して、合理的な機能体へと変えなければならない、という組織の盛衰が支持。
- 論理性や論証抜きで書かれたベストセラー。
- 経営組織論・高橋伸夫「虚妄の成果主義、日本型年功制復活のススメ」、年功制にまつわる通俗観念の誤りを指摘。
- 前提の定義が同じでも、結論は逆。
- 堺屋の言う機能体は、ウェーバーの官僚制的組織とよく合致。機能体の低下はロバートマートンのいう逆機能(効率性を追求した結果、かえって非効率化を招く現象)では。
- 企業の機能の低下を防ぐには「利益質(クオリティオブベネフィット)」の向上を基準として経営を行うべきで、そのためには利益質の計量化が必要だと提案。
- ところがその一方で、日本企業が大学入試などの試験の成績優秀者を優秀な人材として優遇していると批判していること。
- しかし、そうであるならば、企業の利益質の計量化もまた、不適切なはず。このように堺屋は同じ本の中で、全く相容れないことを同時に主張。
- 社会科学の教養を踏まえない議論が「失われた三十年」を招来した。
-
堺屋は「組織に関する研究だけは、著しく立ち遅れている」と断じ、「この国に組織論または組織学の体系を広める」と豪語し、著した。
- しかし、過去の社会科学の蓄積をほとんど無視して書かれた「組織の盛衰」は、ウェーバーの思想を少しでも知っていれば、到底あり得ないような間違いをいくつも犯している。
- ウェーバーや彼を引き継いだ研究者たちが明らかにしたように、組織や社会というものは、効率性を目指していれば効率化するほど、簡単なものではない。世間はそんなに甘くはない。だからこそ、世間の難しさを解明する社会科学というものがある。
- 1990年代も、冷戦の終結やバブル経済の崩壊といった大事件。人々はふだんと違い一層根本的な診断を待望、それを受け入れようとする気持ちが強かった。
- そうした人々のニーズに応えるべく、堺屋の組織の盛衰をはじめとする多くの著作が書かれた。それらの著作がベースとする思想に基づき、さまざまな改革。その結果が失われた三十年。
- 社会科学における偉大な先駆者たちは、社会というものがいかに複雑で、人間というものがいかに難しいものであるかを明らかにしてきた。
- 彼らの洞察を多少でも学んでいれば、これまでの三十年間のような愚かな改革に手を染めることはなかったのではないか。
- そして2020年代に入った現在もまだ、「人々はふだんと違い〜気持ちが特に強」い時代。
- あらためて社会科学の古典を学び、その叡智を汲み上げるべき。
- これまでの三十年間のような、思いつきの政策やら、ふざけた改革やらを試しているような余裕は、もはや我が国にはないのです。
(おわりに)
- 過去15年の間に、社会科学に関する著作を20冊以上書いてきたが、そのベースには、本書で紹介した社会科学の古典。
- 最新・最先端の研究であっても、社会科学の古典のポイントさえ押さえておけばすいすい頭に入る。
- 政治参加のみならず、企業経営、日常生活を営む上でも大いに役立つ、実践的な智慧の宝庫。
- 私は過去三十年間、日本が衰退していくさまを目の当たりにしながら、社会科学の古典が現代でも通用することを確認。
- 残念ながら、私には日本が衰退するのを分かっていても、それを止める力はなかった。
- しかしもし三十年前に、社会科学の古典の凄さを手軽に伝える入門書があって、それが広く読まれていたならば、失われた三十年にはならなかった。
- 読者の皆さんには、ぜひ本書を通じて、本物の社会科学がもつ知の力を体感して欲しい。