まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「目の見えない人は世界をどう見ているのか」伊藤亜沙

どんな本

美学と現代アートを専門とする著者が、視覚障害者の空間認識、感覚の使い方、体の使い方、コミュニケーションの仕方、生きるための戦略としてのユーモアなどを分析。目の見えない人の「見方」に迫りながら、「見る」ことそのものを問い直す。

 

感想

本書は福祉関係の問題を扱ったものではなく、あくまで身体論として書かれたものである。その上で今あらためて障害とは何か、どう向き合っていくべきか、多くのヒントを与えてくれる良著。若かりし頃、生物学者を目指していたという著者の独特な視点も面白い。私たちの目指す多様性を持った社会のあるべき姿をも垣間見させてくれた。障害に対し変に身構えるのではなく、まずは違いを知り、面白がることから始めたい。

 

表紙

f:id:recosaku:20220319052942j:image

 

目次

  • 序章 見えない世界を見る方法
  • 第一章 空間
  • 第二章 感覚
  • 第三章 運動
  • 第四章 言葉
  • 第五章 ユーモア

 

要約・メモ

(序章)

  • 本川達雄・ゾウの時間ネズミの時間より)足りない部分を「想像力」で補って、さまざまな生き物の時間軸を頭に描きながら、ほかの生き物と付き合っていくのが、地球を支配しはじめたヒトの責任ではないか。この想像力を啓発するのが動物学者の大切な仕事だろうと私は思っている。
  • 美学とは、芸術や感性的な認識を哲学的に探究する学問。言葉にしにくいを言葉で解明する。美学と生物学がクロスするところが「身体」。
  • 見えないことと目をつぶることは全く別物。
  • 情報とは、主観を排した客観的な内容。恋人の言う「あなたは石頭だ」は情報ではなく感情の吐露。
  • モンシロチョウ、無味乾燥な客観的世界を生きているわけではない。空腹になると突然、花が見え始める。しかも咲いている花だけ。「自分にとっての世界」が「環世界」と呼ばれる。
  • 「情報」ベースの関わり、乱暴に図式化すれば福祉的な関係。福祉は情報への配慮であふれる。
  • 「福祉的な視点」にしばられることを危惧健常者が障害のある人と接するときに、何かしてあげなければいけない、色々な情報を教えてあげなければいけない、と構えてしまう。
  • 「サポートしなければいけない」という緊張感、見える人と見えない人の関係を「しばる」。ここに「意味」ベースの関わりの重要性がある。その関係は変わる。
  • 「うちはうち、よそはよそ」の距離感、突き放すような気持ちよさ。「そっちの世界は面白いねえ!」
  • 異国に行く面白さ、自分にとっての当たり前が他人から見ると異常な習慣であることも。ガイドブックでの「情報」と実際に現地にいってその「意味」を体験するのは全く違う。

(第一章 空間)

  • 「大岡山はやっぱり山なんですね」駅からの坂道の捉え方。
  • 見えない人は脳の中にスペースがある。情報の少なさが特有の意味を生み出している。
  • 踊らされない安らかさ:売り上げを最大化するためのコンビニ空間、それに反応しなくて良い。
  • 視野を持たないゆえに視野が広がる:見える人が目で見て済ませていることを見えない人は記憶で補っている。
  • (スーザンバリー・視覚はよみがえる)立体視能力ができるようになった、視覚能力が思考法にも影響を与えた例。
  • 視覚を使うには必ず視点が存在する。一度に複数の視点は持てない。私の視点から見た空間。
  • 見えない人には死角がない。物事のあり方を「自分にとってどう見えるか」ではなく「諸部分の関係が客観的にどうなっているか」によって把握する。
  • 岡本太郎太陽の塔、表と裏、内と外、すべて等価に三次元で捉えている。

(第二章 感覚)

  • 特別視することの2つの問題:①「すごい」(見えないのにすごい)→「面白い」へ。②「イメージの固定」(見えない人をひとくくり)→生き方、感覚の使い方は多様。
  • 若者の活字離れと同じく、見えない世界でも「点字離れ」進んでいる。スマホ、タッチパネル使いこなす。
  • 見えない人の中には公共の場で触覚がネガティブな印象を与える事を気にする人もいる。
  • 感覚のヒエラルキー:①視覚②聴覚③嗅覚④味覚⑤触覚
  • ハイテクはちまきで「見えた!」
  • (哲学者ヴィトゲンシュタイン)「言葉の意味とは、そのつどの使用のうちにある
  • 必ずしも目や視神経の機能だけから「見る・見える」わけではない。
  • 手で読んだり耳で眺めたり、大事なのは「使っている器官が何か」ではなくどう使うか。

(第三章 運動)

  • タンデムのコツは「二つの重心を一つにすること」。
  • アメリカ・トリシャブラウン)ノること=動きの副産物に自然な振動を取らせること。
  • 自立とは依存先を増やすこと」周りの人から切り離されることなく、様々な依存可能性をうまく使いこなすこと。
  • 見える身体と見えない身体の根本的な違いは、日々で得られた「乗りこなしの術」にこそある。
  • 自分以外のものや人と同調して仕事を成し遂げる力が体にはある。シンクロする可能性を秘めていること。障害のあるなしにかかわらず、体が本来的に持っているこの開放性は、人間の活動を密かに支えている。
  • ブラインドサッカー、見えない人のシュートを止めるのは難しい。
  • 人と人が理解しあうために、相手の体のあり方を知ることが不可欠になってくる。多様な身体を記述し、そこに生じる問題に寄り添う。そうした視点が求められている。

(第四章 言葉)

  • 見えない人の美術鑑賞、通常は触覚による鑑賞方法。「ソーシャル・ビュー」ワークショップ形式で積極的に声を出して仲間とやりとりしながら作品を鑑賞していく。
  • ソーシャル・ビューの面白さ、見える人による解説ではない。客観的な情報と主観的な意味を伝える。
  • 印象派の作品、目の目による目のための絵画。ただの「野原」ではなく、「湖っぽい野原」であったことが本質。
  • ソーシャル・ビューはプロセス・経験の共有。見える人にとっても新しい美術鑑賞。
  • 結果先行の発想法。まわりに合わせて一緒に笑っていた方が良い。ライブ感を重視。内容の厳密な把握にこだわらない。
  • 鑑賞とは自分で作品を作り直すこと」自分が感じたその絵の意味を言葉に、同じ絵でも人によって全く違う。頭の中で作品を作っている。さらにその上で絵を見る(他人の目で物を見る)と、本当にそのように見えてくる。
  • ある意味で見える人も盲目である。障害が「見るとは何か」を問い直し、人々の関係を揺り動かしす。福祉とは違う「面白い」をベースとした障害との付き合い方のヒントがここにある。

(第五章 ユーモア)

  • 不自由な環境を物理的に変えるのではなく、その意味を変えることにより生き抜く。そこで使われる武器がユーモア。ユーモアたっぷりに不自由な状況を読み替える、社会に無理やり自分を合わせるプレッシャーをかわす。
  • パスタのレトルトルーの味、回転寿司のネタ、あえて出たものを楽しむ。
  • ジークムント・フロイト)ユーモアの秘密は視点の移動にある。超越した視点で世の中を笑い飛ばす。自己防衛のための一つの方法。感じるはずの勘定が的外れになる、拍子抜け、「感情の消費の節約」。
  • 障害者のお笑い芸人、プロレスラーなど。障害を笑うことで「善意のバリア」がほぐれる。健常者の心の中にあるバリアに気付かせてくれる。

(障害とは何か)

  • 2011年施行の改正障害者基本法では、「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会に相当な制限を受ける状態にあるもの」。従来は障害は個人に属していたが、新しい考えでは、障害の原因は社会の側にあるとされた。
  • 障がい者」や「障碍者」の表記は個人モデルに捉えられるし、問題の先送りにすぎない。むしろ「障害」と表記してそのネガティブさを社会が自覚するほうが大切なのでは。
  • ただし、社会の側に障害があるからといって、全部なくせばいいというものではない。社会の障害をなくすことは、見えない人のユーモラスな視点やそれが社会に与えたかもしれないメリットを奪うことでもある。
  • 違いをなくそうとせず、違いを生かしたり楽しんだりする知恵が大切な場合も。「見えない」ことが触媒となるような、アイデアに満ちた社会を目指す必要があるのではないか