どんな本
コロナ禍の中、いかに他者と関わるのか?そのキーワードは「利他」。ただし、道徳的な自己犠牲あるいは合理的な他者への介入では、決してより良い社会の契機にはならない。その根源に迫る、いま時代が求める論考書。
感想
14年ほどボランティア活動を続けているが、果たして利他の本質とは何か?コロナ禍の中、今改めて考えてみたくなった。今回、その分野を専門に研究されている著者らの独特で鋭い考察は、「”うつわ”としての利他」という新たな視野を私に与えてくれた。利他は自らの意思の外からやってくる。
表紙
https://www.amazon.co.jp/dp/4087211584
目次
はじめに コロナと利他
第一章 「うつわ」的利他
第二章 利他はどこからやってくるのか
第三章 美と奉仕と利他
第四章 中動態から考える利他
第五章 作家、作品に先行する、小説の歴史
おわりに 利他が宿る構造
要約・メモ
(第一章より)
- 合理的利他主義:自分にとっての利益を行為の動機にしている。他人にしたことが、めぐりめぐって自分にかえってくる。
- 効果的利他主義:自分にできる一番たくさんのいいことをする。幸福を徹底的に数値化。海外で進んでいる形。共感にもとづかない。
- 合理的利他主義も効果的利他主義も「理性」を重要とする。地球規模の危機は「共感」では救えない。
- 共感から利他が生まれるという発想、逆に共感を得られないと助けてもらえない。
- ジョアンハリファックス(人類学者):「真の利他性は、魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えること」
- ブルシット・ジョブ=クソどうでもいい仕事、が世界的に増えている。なぜ増えるか、数値化できないものを数値化しようとする欲望とその背後の管理への欲望があるから。
- 利他の心は容易に相手を支配することにつながっていく。不確実性を意識しない利他は、押しつけであり、ひどい場合は暴力。「自分の行為の結果はコントロールできない」つまり「見返りは期待できない」ということ。
- うつわ的利他:常に相手が入り込めるような余白を持っていること。同時に自分が変わる可能性としての余白も。何もない余白が利他であるとするならば、それらの可能性を引き出すうつわのようなもの。
- スナウラ・テイラー:「自然は人間が思うよりずっと相互扶助的なものだ」。生物学の世界で種を保存するために利他は当たり前のこととしてある。
(第二章より)
- ピティー(哀れみ):贈与の残酷さ。哀れみによって利他的な行為をすると、その対象に対し一種の支配的な立場が生まれてしまう。
- マルセルモースの贈与論:三つの義務で贈与が成立。贈り物を人に与える義務、受け取る義務、かえす義務。ただしこれらは意識的な自発性ではない。一方が与え、他方が受け取る、ある一時点での受け手が次の機会には与え手になること。
- 志賀直哉「小僧の神様」より:貧しく寿司が食えなかった小僧に声をかけられず、後日満を持して奢るのだが、そのことによって嫌な気持ちになってしまう。その心情にピティー(哀れみ)が含まれていたから。一方、インドで体が勝手に動き荷物を即座に持ってくれた男性。その間にある問題、奢られたことを神の行為だと捉えてしまう複雑な問題。それらを描こうとしていたのでは。
- 果たして純粋な贈与や利他というものがありえるのか、その問題に立ち止まざるを得ない。
- 返礼への違和感:子どもを「危ない!」とかばった時に言われた「ありがとう」に違和感。ご飯を作って「どうぞ」と渡した時の「ありがとう」も。当たり前の行動にありがとうで返される。贈与ではなく交換になっている問題。何かやったことに対し返礼の言葉がかえてくると関係性が変わってしまう。
- わらしべ長者の物語:利他や贈与の観点で読むと、重要なのは最初の交換。2回目以降は、見返りを求めているが、最初の子どもに藁をあげる時だけは、変わりにミカンがもらえるとは思っていない。大切なものの一方的な贈与になっている。
- 人間の合理的な意思の外部によって起こされる力によってこの藁は贈与された。自分の個を超えた力による促し、仏教の「業」。
- 人知を超えたメカニズム、私たちの意思に還元されないものによって世界の大半が動いている。
- インド人、ヒンディー語で「私には思える」→「思いが私に宿っている」と表現独特。
- 利他はどこからやってくるのか:私たちのなかにあるものではない。利他を所有することはできない。常に不確かな未来によって規定されるものである。
(第三章)
- 利他はもともと仏教の言葉。利益(りやく)、利根、利生。自力と他力。
- 「不二」二つではない意味だが一を意味しない。二つのものが二つのままで不二。「自他不二」単に誰かのために何かするのではなく、他者と自己との壁が無礙になったとき起こる出来事。礙はさまたげ、両者に「さまたげ」がない状態。
- 柳宗悦「不二」を自己哲学の中核とした。民藝運動を牽引した人物。
- 工藝の美は奉仕の美である。すべての美しさは奉仕の心から生まれる。
- 「物」が「奉仕」する。おのずと「忘己利他」が実現。民藝の器には我がない。どのように用いられるかを、自分以外の存在、すなわち人にゆだねている。
- 利他は人が行うのではなく、生まれるもの。行いによって始まり、沈黙によってそれは定まる。
- 書は書かれた文字だけでなく、そこに余白を生む。文字と言う語りと余白と言う沈黙の場を同時に現成させているのが書。
- 現代では、論理上の矛盾がないことが正しさの証、現実世界の説明としては非常に脆弱。現実は矛盾に満ちている。むしろ、矛盾を矛盾のまま表現できている方が、よほど現実的。論理は必要、しかし現実は論理を超える。利他は、論理の世界で考えるより現実世界で経験するべき。
- 柳宗悦にとって、人間の争いを食い止めるものが美。美は人を沈黙させ、融和に導く。さまざまに対話し、その彼方に何かを見出すよりも、沈黙を経た彼方での対話ということを考えていた。利他は、そういう枠組みで起こっている。
(第五章より)
- 北杜夫の小説、30年ほど読んでなかったのに、不思議と自分が書いたデビュー作に似た印象を受けた。
- まず作家・作品ありきではなく、先行して存在する小説の歴史や系譜の中に、あとから作家が入り込む・投げ込まれる感覚。作家の意図を超えて系譜が現れる。
(おわりにより)
- 利他の反対語は利己。利他的な行為には時に利己心が含まれる。メビウスの輪で繋がっている。
- 本書のポイント、利他とは「うつわになること」。著者らの共通して行き着いた人間観。