まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

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読了「新・男子校という選択」おおたとしまさ

どんな本

男女共学化が進む今、中高の思春期を男だけで学ぶ意味とは。著者が「男子校という環境」が備えている機能にあえて注目、多様性の少ない日本の学校制度において男子校はオルタナティブ教育(学校外での独自の理念と教育方針によって行われる教育)になり得るのか、人格形成にもたらす長所や短所を探るべく論じた一冊。

 

感想

自分自身、男子校こそ経験はないが、かつて男子学生寮で過ごした10代後半を思い出させる共感点が大いにあった。「男子校の教室を満たす空気感は、温泉の男湯の空気感そのもの」という表現は言い得て妙。最後はジェンダー問題への観点にまで分析がおよび、大変有益な一冊だった。良本に出会えたことに感謝いたします。

 

表紙

新・男子校という選択 (日経プレミアシリーズ) | おおたとしまさ |本 | 通販 | Amazon

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目次

  • はじめに
  • 第1章 偏差値60台の共学校よりも偏差値50台の男子校
  • 第2章 現役教員が本音で語る、男子校の魅力とアキレス腱
  • 第3章 バンカラ?それともジェントルマン?「男の園」を垣間見る
  • 第4章 大切なことは、みんな男子校で教わった
  • 第5章 男子校、生かすも殺すも親次第⁉-社会学者・宮台真司さんインタビュー-
  • 第6章 海外で見直される男女別学校の価値
  • 第7章 ジェンダー問題か、学びの多様性か
  • おわりに

 

要約・メモ

  • 麻布高校校長)男子校の生徒はマニアックな集団。みんなが何らかのスペシャリストを持ち、お互いに尊敬し合っている。教員にもマニアックな人が多いので気持ちがわかる。女子の目がないので無理に男らしく振る舞う必要がない。自分の得意分野に自信をもち、自己表現の幅が広がる。それぞれの道を堂々と極める友人を見て、多様性を認め、お互いのことを認め合う文化が育ちやすい。

 

  • 宮台真司氏)「もしお母さんたちが女子高校生だったとして、あなたの息子をカレシにしたいと思いますか?」と聞くと「無理です、キモすぎます」。なぜキモい男を育てているのか。中高生は本来、枠の外に出て経験値を上げる時期。いまは勉強時間を減らしてもゲーム時間が増えるだけ。劣化した親でさえ自分の子がつまらないヘタレになっていくことへの危機感を募らせている。ヘタレはシステムにしがみつく。現在のエリート官僚のクズぶりはそれで説明できる。劣化した親が、劣化の再生産を行う、今の日本で急速に進んでいること。

 

  • イギリスでは成績上位の8割は男女別学校OECDが行うPISA(学習到達度調査)により男女の成績を詳しく分析した結果、男女別学では男子の成績が女子を上回り、男女共学では女子が上回る。男女別学の方が、成績に男女差が生まれない。

 

  • (2006年のニューズウィーク誌)中学校においては、男性の性的な成熟は女性に比べて約2年遅れている。脳の厚さは女性が11歳で最大になるのに対し、男性は18ヶ月遅れる。5歳から18歳の男女に情報処理能力をテストすると幼稚園では差がないのに、思春期は女性のほうが速くて正確という差が生じ、18歳には再び男女の差がなくなる。

 

  • アメリカでは現在、男女別学が増えている。NASSPE、共学では「発達障害」でも別学では「優秀者」

 

  • (教育者のグラハムエイブル氏)生徒の学力を最大限に伸ばすには、「公立の学校は、一学年180人前後で構成し、男女別学にすべきだ」。

 

  • (NASSPE代表・レナードサックス氏)ポイントは「女子は励まして自信をもたせてあげる。男子は現実を見せて自分が思っているほどに自分が賢くないことを自覚させ、もっと上手にできるようにけしかけることだ」。

 

  • ミシガン大学の研究。男女が別学で学ぶことで、学習意欲自体が高まるとともに、社会的に固定化された男性らしさ女性らしさを乗り越えやすいということを示唆している。

 

  • (2009年のエデュケーショナルホライゾン誌)男女別学の教育者たちはすでに知っている。男女平等はゴールである。ただし、目的地への道は一つではない。

 

男子校の機能

①男子だけでのびのびできる

②自分探しに集中できる

③オタク系男子にも居場所がある

④徹底的にバカができる

⑤教師とストレートなコミュニケーションがしやすい

⑥男子の発達段階に応じた刺激がある

⑦思春期の男子を抱える親のためのサポートがある

⑧異性について、自分の性について、自由な議論ができる。

 

ジェンダーギャップについて

社会全体の理想の実現のために個別の学びの最適化が犠牲にされてはならないし、学びの個別性を尊重するために男女共同参画社会への実践的アプローチの機会が損なわれてはいけない。人権教育とキャリア教育の両面から意識的に取り組むべき。男女別学であっても共学であっても同じ教育成果が得られるのであれば、男女別学校はなくてもいいという結論にもなるし、あってもいいという結論にもなる。

 

著者の主張

現時点の日本の教育システムにおいて、男女別学校と共学校で同じ教育成果を得ることは難しい。であれば「これからは多様性の時代。男子だけの集団で学ぶことは時代に即さない」という一面的な論理を男子校の存在を一律に否定するような風潮は「教育の多様性を損なう可能性が高い」という矛盾を指摘しておきたい。

 

一つ確実にいえること。「これが正しい」という迷いのない教育がもっとも危険だということ。教育とは常に迷いながら、矛盾を抱えながら、模索しながら行うべき営みだ。一律に答えを出すのではなく、目の前の子ども達に焦点を当て、それぞれの立場で「本当に今のままでいいのだろうか」と自問自答を繰り返し、お互いに学びながら少しずつ進化するのが理想だ。

 

男子校の中にいる男子たちはまるで温泉の男湯にみんなでつかっているようであり、男子校の教室を満たす空気感は、温泉の男湯の空気感そのものだ。一方、共学校の教室の雰囲気はまさにクアハウスのそれと同じである。男湯で素っ裸になって良くも悪くも自分をさらけ出している無邪気な男の子たちを見ると「これはこれで残してやりたい」と理屈抜きで思ってしまう。念のために最後にもう一度繰り返す。全国の高校に占める「男子のみの学校」の割合は2.2%である。