まちづくり・社会教育活動の実践あれこれ

日々への感謝とアウトプット

読了「非社交的社交性」中島義道

2022年の第一冊目は、自分の中に毒を持て(岡本太郎)の精神、日頃の自戒の念を込めて、中島義道氏の著書をチョイス。かつて悩める20代の頃、氏の「日本人を半分降りる(筑摩書房)」には心を少し楽にしてもらえた。今回、それ以来久々に著者の書に触れる。

 

どんな本

1946年生れ、東大出身、「哲学塾カント」を主宰する著者の、2009年から2012年まで西日本新聞などに連載されていたエッセイ(第一部)と、塾生の「病態」などを描いた書下ろし(第二部)をまとめた一冊。タイトル「非社交的社交性」は哲学者カントが命名した人間の性格の一つ。生活や人間関係のために妥協を強いられる「生きづらい人間」、特に社会生活に苦労している若者に生き抜くヒントを示す。コロナ禍が1年以上続く現在、人間関係が希薄になり「孤独」で苦しむ若者たち(特に女性)にとっても参考になる。

 

感想

今の自分の生き方・考え方とほぼ真逆を行く著者の主張から、学べる点、参考になる点は多かった。特に「他人に期待せず、他人から自分に向けられる期待を振り落とし、自分自身に期待しよう」という点は、他人に振り回されず生きていくために必要な姿勢として大いに共感するが、個人的にはそこに「他人に向けるべきは期待ではなく信頼」ということを付け加えたい。哲学者の著者でなければほぼ社会不適合者と言えるパンチの効いた思想の数々、理解することを諦めない姿勢で何とか読了。

 

表紙

非社交的社交性 大人になるということ (講談社現代新書) | 中島 義道 |本 | 通販 | Amazon

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目次

はじめに

第一部 非社交的社交性

  1. 哲学に至る道
  2. 半隠じゅん
  3. 遊びと哲学
  4. 未来は「ない」
  5. 西洋と日本のあいだ

第二部 こころ優しく凶暴な若者たち

  1. 「生きにくい」人々
  2. 過度の「合理性」を求める
  3. 言われなければわからない!
  4. 「ワガママ」にしがみつく
  5. 成熟を拒否する軽蔑されたくない!
  6. リア充」の意味するところ

哲学へのヘンないざない

 

要約・メモ

  • きみがどう生きていくかはすべて君の手中にある
  • 君が自分を「才能のない人間」「モテない男(女)」と決めることはそういう自分を選ぶこと
  • 大人になるとは、①経済的に独立すること、②他人に依存しない生き方を実現すること
  • 異質な人々を切り捨てるのではなく「大切にする」こと、そういう人々との困難な交流は真に人生の宝
  • (カント)人間は「社会を形成しようとする性癖」と「自分を個別化する(孤立化する)性癖」の両面を持つ
  • 現代日本の若者には、他人とうまくコミュニケーションできない者が蔓延、カントにそえば、万人向きの「社交性」を目指すのではなく、そのままの自分を受け入れてくれる人がいること、自分のわがままが通る場を確保すること
  • 現代日本では「弱さ」が美徳として罷り通り、弱者に配慮することばかり喧伝、いかなる場合も誰一人として傷つけずに生きることはできない。心の弱い人は「強さ」を身につけるよう自己鍛錬すべき
  • 「他人との絆」と「他人への依存」は矛盾しない。子の親への依存、親の子への依存も徐々に対等な信頼関係へ移行すべき
  • 善意だらけのオリンピック開会式に違和感。「善意だらけ」の状態を演技と知っているうちは良いが、それはいつの間にか当人を酔わせ真実を見えなくさせる。そして真実を語る人を排斥する
  • 親子関係、夫婦関係、師弟関係でも、互いに余り他人に期待しないようにしよう。自分に向けられる他人の期待を絶えず身体から振り落とすようにしよう。そしてその分、しっかり自分自身に期待するようにしよう
  • すべての誇りは傲慢や軽蔑と紙一重。あらゆる言葉は語る人の個人的意味付与とは独立に、その社会における「普通の」意味(価値)を帯びてしまう
  • 世の成功者を罵倒し、嘲弄し、その失敗を、その転落を願い、それによって自分が主観的・相対的に「高まる」と思うことは錯覚である。他人への嫉妬を燃え立たせる人ほど本当は自分自身が他人から評価されたいことを知っている。そうならないための答えは二つ、①全身全霊で何かにぶつかり、時には現実に成功すること、②本心から競争社会の醜さや虚しさを悟り完全撤退すること
  • 哲学を遊びとみなすことを完成させたのがニーチェソクラテスの哲学観を保持、パスカルの繊細な感受性も受け継ぎ、ソクラテスパスカルとを父母にもつ息子のような哲学者
  • 偶然も必然も「ない」。これらは世界の現実を表す言葉ではなく、ただ世界に対する我々の態度(期待・願望)を表す言葉。世界はただ「現にある」だけ